written by
月白雪花さま



 廻る秋







 「おめでとう」と言ったとき、俺はちゃんと笑えていただろうか。







  秋が音も無く冬に姿を変えるこの季節が、一年のうちで一番嫌いだ。
  思い出したくもないことばかりが浮かぶから。
  プロの手合いも院生研修も無い日本棋院は思いの外静かで、ちょっとした会話さえもが響いて
 聴こえた。
  記憶にあるより幾分低くなった、でも聞き間違えることなど無い声にギクリとして立ち止まり、
 急ぎでもない用のために何故今日来てしまったのかと後悔した。
 「急にこんなことを言って、本当に申し訳ありません」
 「君が謝ることなど何もない。そういう選択も悪くないと思うよ。それで、九星会のほうは?」
 「はい、昨日、成澤先生に直接退会する旨を伝えてきました」
 「そうか。しばらく独りになるのはいいことだろう。一歩離れてみると、今まで気づかなかった
 ことが見えてくるだろうしね。伊角君がどんな道を選んでも、私は精一杯祝福したいと思うよ」
 「本当に、有り難うございました」
  何度も頭を下げた後、こちらに向かって歩いてくる。
  俯きがちだった顔が、俺に気づいて更に下を向いた。
 「おい」
  すれ違いざま、自分でも驚くほどの低い声に相手の肩がビクリと震えたのが、見なくてもわかっ
 た。
 「何か俺に言うことはないのか」
 「………ありません。今の俺には、何も」
  そのまま相手は逃げるように立ち去った。
  最後まで視線は交わらず、それぞれの前を向いたまま。
  名前ひとつ呼べずに。
  ここが棋院でなく自宅なら、壁を殴りつける位はしていただろう。
  怒りと呼ぶには、あまりにも対象が不明瞭な衝動。


  あの日もあいつは、ずっと俯いたままだった。






  ――待ったりしないでください。必ず、自分の力で追いついて見せますから。
  俯いて、一言一言を搾り出すように言った。
  二ヶ月ぶりに訪れた公園は、すっかり色を変えていた。
  大分冷たくなった風に頭上の枝葉がやかましく鳴っていたが、そんなものを突き抜けて、震え
 る声が俺の耳に届いてしまった。
  ほんのついさっきまで心を占めていたプロ試験合格の喜びが、形容しがたい不安に喰われてい
 くのが生々しく感じられた。
  そして、蚊の鳴くような声で、あいつは宣言した。
  ――それまで、冴木さんとは会いません。






 「冴木さん、今、いい?」
  いきなり部屋にやってきた弟弟子の表情に、俺は内心途方に暮れた。
 「ああ、あがれよ」
  とりあえず室内に促し、温かい飲み物で落ち着かせた。
  何を言いたいのかはわかるのに、何を言えばいいのかはわからなかった。
 「あのさ、冴木さん、オレさぁ」
  マグカップを小さな子供のように両手で包み、和谷は呟くように話し出した。
 「ずっと一緒だと思ってたんだ、伊角さんと。別に、何か約束してたわけじゃないけどさ、何で
 だろ、今までと同じように、これからも続いていくんだと思ってた。伊角さんが隣にいてくれる
 ことだけは、変わらないって、振り向けばいつでも、そこにいてくれるんだって、思ってた。そ
 れが当たり前だった。今までプロ試験に落ちて院生辞めた奴なんて何人も見てきたのに、伊角さ
 んだけは違うと思ってた。オレが受かるときは伊角さんも受かるんだって、当然のことみたいに
 信じてた」
  一言口に出すと、後は湧き出るように和谷はしゃべり続けた。
  当たり前が当たり前でなくなる日が来ることを知ったのは、今の和谷と同じ十五の時だった。
  あいつはまだ、十三歳だった。
  立てた膝に顔を埋めた和谷の頭を、少し乱暴にかき混ぜる。
 「信じろよ。ずっと、見てきたんだろ?あいつ、碁に関しては怖いくらい頑固だからな。大丈夫
 だ」
 「……うん」
  泣いてるような、笑ってるような声で和谷は答えた。




  十一月の風に吹かれながら、公園のベンチに腰を下ろした。
  二ヶ月ちょっと前、どこか静かな所を知らないかという和谷にこの場所を教えたのは、それを
 聞いた訳がわかっていたからかもしれない。
  五年前、俯くあいつを見て、泣けばいいのにと思った。そうすれば、慰めてやれるから。
  でもあいつは、それすらできない奴だった。
  自力で追いつくと言えるくらいには強く、あの場で顔を上げられないくらいには弱かった。
  俺たちを巡り逢わせたものによって、俺たちは別たれた。
  何という皮肉だろう。
  見上げると、大分葉を落とした枝が、淡い陽光に滲んだ。
  五年前の夏、緑の濃いこの木の陰で、携帯用の折りたたみ式の薄い碁盤越しに、触れるだけの
 キスをした。
  互いにタコみたいに赤くなって、その後は碁を打つどころじゃなかった。
  二ヵ月後にも、そんな風にしていられると信じていた。
  最初で最後のキスだった。




  時が過ぎ、色々なことが起こり、そしてまた、秋と冬の境がやってきた。
  訳も無くあの公園を訪れると、そこら一体が赤と黄色に色づいていた。
  その中に、伊角が立っていた。
  顔を上げ、きちんと俺の方を見て。
  その口がゆっくりと動いて言った。
 「冴木さん、俺、受かりました。」










  fin.





 イメージソングはELTの「キヲク」です。
 本当はこちらから書こうと思ってたのに、気がつくと伊角さ
 んサイドを書いてしまったため、そちらに絡めて書いてみま
 した。
 時間の進み方など、読み難い点が多いかもしれません。時間
 の無さを露呈してますね、とほほ。
 ワヤスミはほかの伊角受けと同時進行可能なのに、なぜかサ
 エスミとヤンスミの同時進行ができません。冴木さんと楊海
 さんのポジションが似てるからでしょうか(私の中で)。
 和谷、ごめんね。報われなくて。
 長々とお付き合い頂き、本当に有り難うございました。
 お暇潰しにでもなれば幸いです。

 月白 雪花


月白雪花様からめちゃくちゃ素敵な小説を頂いてしまいましたvv読ませて頂いてすぐに「の、載せさせて下さい…!!」とソッコーお願い(笑)。嗚呼でもお読み頂ければ私の気持ちがよ〜くわかるハズvvこの堪らない切なさ。光二万歳。サエスミの美しくも切ない旋律に酔いしれました…vv
月白さん、本当にありがとうございました(≧∇≦)vv
(2003.04.30)