穏やかな闇が押し寄せてきていた。
眠たいようなけだるい空気が家の外にも中にも詰まっていて、ついその中に包み込まれていたくなる。
わたしは窓を開けて薄紅色に染まっている空気と一体になりながら、一人座っていた。 遠くから微かに響き渡る教会の鐘の音がはっきりと夕刻であることを告げている。鐘の音までが春の暖かさと必要以上の穏やかさに欠伸をしているかのように聞こえる。
一人での夕食は何百回食べても味気ないものだ。 明日は日頃よりは贅を尽くした食卓になると思えばなおさら。
缶詰のスープとパンで済ませてしまおうか、それともいっそ食べなくとも・・・
とりとめのない物思いを止めない理由は漠としたまま、確実に自分の中に蟠っている。 意識の表層に現れないよう鍵をかけているだけだ。
せめてランプくらいはつけた方が、と重い腰を上げようとした時、およそ春の宵には似つかわしくない荒々しい風が吹きぬけた。
窓から身を乗り出して薄闇に目をこらす。 途端に顔が綻んだのが自分でもわかった。
「やあ、先生。 灯りもつけずに何してたの?」
卒業しても先生と呼ばれる度に、くすぐったいような痛いような感覚が胸に走る。 教え子の顔が一つひとつ当時のままに浮かぶ。 そしてあの懐かしい場所を永久に去る決意をした日引き止めてくれた声。 そんな記憶を未だに大切にとっているからだろう。
自分の感傷癖を心の中で自嘲しながら、わたしは近寄ってきた「息子」を窓越しに抱きしめた。
「おかえり、ハリー。 明日帰ると聞いていたけど?」
小柄でやせっぽちの少年もすっかり背が伸び、わたしと殆ど変わらないまでになっていた。 すんなりとした手足にも日々の練習で筋肉がしっかりとつき、細いながらに確実に逞しくもなっている。
いつものように親愛をこめて挨拶する彼の体からは、干草のような汗の香りがした。
改めて顔をよく見れば、少年の日の面影がまた少し消えていることに気付く。 その溌剌とした青年らしさが眩しいくらいだ。
「今日は早く終わったからそのまま一直線に帰ってきたんだ。 クリスマス以来だし、なんだか早く来たくなって。」
笑いながらくしゃくしゃと髪を掻き回す。 全力で箒を飛ばしてきたのだろう、いつもにもまして乱れている。
昔なら気にもとめなかったのだろうが、何とか形をつけようとしているあたり彼も年頃なのだ。
「姿現し」「姿くらまし」も立派に出来るようになっている癖に、ハリーは未だに箒で飛んで帰省する。 しかもいい加減くたびれたファイアボルトで。
義父からの最初の贈り物を彼は決して手放そうとしない。 柄の部分に丁寧に施された無数の補修の跡が普段は物に固執しない彼の唯一の愛着だ。
「ああ、もう全然言うことを聞かないや。 参っちゃったな。」
そんな時の照れたような笑い方は本当にそっくりで、わたしは少しだけ哀しくなる。 一緒に暮らし始めた頃はそんな仕草の一つひとつを見る度に心臓に杭を打ち込まれるような気分だった。
が年月と共にむしろ甘美な追憶としての意味合いが大きくなってきているのもまた事実。 「少しだけ」感じる痛みはともすれば楽しかったことだけを覚えていようとするわたしへの、ジェームズからの警告なのかもしれない。
「練習帰りならお腹すいてるだろう? ちょっと待てるかな、何も支度してないんだ。」
碧の光に鋭く射抜かれて、ああ、と心中舌打ちをする。 そんなところまで似る必要はないのに。 まったく血という奴だけは――。
「シリウスはいないの?」
休みの間だけとはいえ、もう何年も一緒に暮らしていればこちらがみせる僅かな表情や声の抑揚に気付くのは当たり前かもしれない。 何といっても彼等の息子なのだから。
「家のパーティーに呼ばれて出かけたんだ。 明日の朝には戻ると言ってたよ。 ハリーに会うのをとても楽しみにして・・・」
「一緒に行かなかったの?」
言い終わらないうちに返された。 わたしの答えがどうであれ、その質問をするつもりで予め喉に用意してあったらしい。
「人前が苦手だからね。 ブラック家ともなれば復活祭は盛大に祝うんだろうし・・・そういう場はわたしには似合わないよ。」
ハリーはわたしに背を向け、玄関へと回る。 ドアの開く音がした。
彼のためにもなんとか簡単な夕食を用意しなくては、とわたしも立ち上がった。ハリーがちょうど居間に入ってくる。 同じ高さでぶつかる視線。
「パーティーは同伴が原則じゃない? 先生を置いていくなんて許せないなぁ。」
妙にのんびりとした口調が裏にこめられた意味を感じさせて逆に恐ろしい。
「お母さんが彼を独占したがるからね、一人で行った方がいいんだよ。 長年苦労かけたわけだし、いい息子を必死で演じてるんじゃないのかな?」
スープは缶詰を使うにしても、何か野菜を準備しよう。
台所へ向かうわたしの背を追いかけるように、彼は一言呟いた。
「無理しちゃって」
どのくらい前からだろう。 わたしの中でゆっくり湧き出し、水嵩を増していた小川。 美しい春宵にはまるで似つかわしくない、濁ったその色。
堰きとめられていた細い流れに、突然梢からどさどさと雪が落ちてきた。 もう止められない。 思考の奔流は水量を増し勢いをつけて迸る。
せめてジャガイモくらいは茹でようとペティナイフで皮を剥きながら、わたしはぼんやりと「彼」のことを考えていた。
どれだけ雑事で埋めて誤魔化そうとしても、いつも想いはここに戻ってくるのだ、結局。 ハリーの言葉はきっかけに過ぎなかった。
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ブラックの家から緊急のふくろう便がやって来たのはふた月前。
母親が倒れた、と羊皮紙に乱暴な筆跡で書きなぐってあった。 この時ばかりはと父親が知らせてきたものらしい。
薄い意識の中で彼の名を呼んでいるとも。 放蕩息子を呼び戻すには十分な理由だった。
黙って羊皮紙を丸めるシリウスの背中を無理に押したのはわたしだった。
「後で後悔するようなことだけはしない方がいい。」
そう言ってフルーパウダーの缶を渡した。
彼はわたしの顔をじっと見てからようやく頷き、ついに実家へ足を向けることを承知した。
無実の罪だったとわかってから掌を返したように交わりを持とうとする家族や親戚を、心の底から疎ましいと思っていることは十分わかっていた。 彼一人なら絶対に帰らないだろうということも。
しかし失ってみなければわからない悔いというものもこの世には確かに存在するのだ。
わたしは彼を家族の元へ帰したことに満足した。
程なくして母親は小康状態を取り戻し、ともかくも退院にこぎつけた。
退院の日、お祝いを述べようと、わたしは彼の家へシリウスを迎えがてら足を運んだ。
学生の時に一度だけクリスマスに招待されて以来の屋敷は記憶よりも狭く、そして古びて見える。 あの時あんなに感動した調度類はそのままにされてはいたけれど、色褪せたカーテンや更紗模様のクッションがこの家に流れた時の重みを感じさせた。
猫足をした優雅なマホガニー色のピアノには埃がうっすらと積もっている。 使用人も代替わりし、人数も減り、一家の主婦が不在では色々と行き届かなくなるのも道理だろう。
お祝いに持ってきた花の派手な色合いにわたしは落ち着かず、出された紅茶にも手をつけることなくそわそわと座っていた。
彼女が好きだからとシリウスがわざわざ指定してくれたのだけれど、この毒々しい花弁だけはどうも好きになれない。 花というよりもむしろ爬虫類を思わせるその生々しい感触、そのかたち。
栽培にやたらと金がかかるから値段も高いがマグルの間では珍重されているという。 もしわたしが彼女と同じ立場なら野の息吹を感じさせてくれる小さな黄水仙や野生のヒヤシンスの方がずっと好ましいのに。
表が騒がしくなった。 まだ体調のすぐれない彼女のためにマグルの車を使ったらしい。 エンジン音がする。
私は立ち上がった。 熱帯の密林に舞う蝶のように派手な花を手にする。
ドアが開いて満面の笑みを浮かべた彼女が入ってきた。 唇の輪郭や目じりにまで丹念に施された化粧に彼女の喜びが表れていた。 とはいうもののシリウスの腕にかなりの体重を預けていることも容易に見てとれる。
「退院おめでとうございます、ミセス・ブラック」
「まあ、リーマスわざわざありがとう。 シリウスがいつもご厄介をかけてるのに私にまで気を遣ってくださって・・・済まないわね。」
「いえ、とんでもないです。 お元気になられたようで何よりです。」
シリウスよりもわたしの方が社交が得意だという自負はあった。 誰もが寛いだ気持ちになれると言う、得意の微笑を浮かべ花を渡す。
「あら、私の大好きな蘭を・・・ これはもしかして」
いたずらっぽい笑みをその痩せた頬に浮かべ、彼女は自慢の息子を見上げた。 シリウスは苦笑し、目をそらす。 満足そうに彼女は頷いた。
「本当にこの子は無愛想なのよねぇ・・・でもね、気持ちは優しいのよ。 リーマス、あなたもそう思うでしょう?」
母親というものは夫よりも何よりも息子を偏愛しているものだ。 あらゆる面で絶対的に一番でなくては気が済まないもの。
「ええ、そう思いますよ。 長い付き合いですからね、わかります。」
余りに一般的な受け答えにも関わらず、突然彼女は勢い込んだ。
「そうよ、そう、付き合いの長いあなたなら言ってやってくれるわよね。 もうね、この子ときたらいい歳でしょう・・・四十路も間近よ。」
「わたしも、ですけどね。」
彼女はあらごめんなさい、と一言付け加えただけですぐに自分の話へ引き戻した。
「なのにまだ結婚もしてないだなんて・・・ リーマスにも迷惑よって再三言ってるんだけどねぇ。 話がないわけじゃないのよ、 なのに耳を貸そうともしないし。
リーマス、あなたからも説教してやってくれないかしら? そろそろ身を固めるべきだって。」
彼女の心がこの問題で一杯になっているのは明白だった。 なすこともない入院の間、日々このことを気に病んでいたのだろう。 ここは調子を合わせるのが最上の方策だ。
すぐにわたしは確信し、そうですね、とかわかりますよ、とか何とか相槌を打った。 シリウスとふと目が合った。 感謝の視線だ。
だが、彼女はもうわたしを見ていなかった。 隣にいる最愛の一人息子の姿も、後ろに控えている夫の存在も。 彼女は世界中で唯一残された人間が、ただ相手もなく風に向かって囁くように一人ごちた。
「孫の顔が見てみたいのよ・・・生きてるうちに」
シリウスは出来るだけのことはしてやろうと心に決めたらしい。 良い傾向だ。 イースターを一緒に祝おうという誘いが来た時も、二つ返事で引き受けていた。
あの退院の日以来、彼はわたしを家に関する出来事に決して巻き込むまいとしていた。 短く「行ってくるよ」とだけ伝え、家を出る。 その回数は月に多くて2回程度に過ぎなかったけれど、確実にルーティンになろうとしていた。
彼の抱える葛藤に、わたしは意識的に背を向けていた。 たとえそれがどんな葛藤であったとしても、わたしが知ることに何の意味があるだろう。 結局家族の絆というものは糸をはさみで切るようにぷつりと断ち切れるものではなく、完全に憎み切ることなどあり得ない。
ましてや人一倍感情の激しいシリウスのことだ、表にこそださないように気をつけてはいたけれど、家族への愛情と名づけても差し支えないような感情を抱くのにそう時間はかからなかった。
わたしは――正直に言おう。 自分の感情がうまく制御できなかった。
シリウスが家族との絆を強めている。 何と喜ばしいことだろう。 亡くしてからでは何もかも遅いのだ。 わたしを見るがいい。 両親にきちんと感謝を伝えられないままになってしまったという自責の念をいつも抱えている。
だからシリウスが家族との交流を持つきっかけを作った自分を誇りに思う。
しかしひとり彼の帰りを待ちながら過ごす夜、わたしの思いはいつもあの日の彼女の呟きに飛んだ。
――それは多分、罪悪感。 そして怒り。
彼女の切望を絶望にしているのは他ならぬわたしなのだ。
誤解して欲しくはない。 わたしは自分とシリウスとの関係を後ろめたく思ったことは一度もない。 いや、なかった。 これまでは。
シリウスの母親はわたしたちを理解できない人種に属している。 彼はそれを良く知っていた。 過去に何度か試みた挙句、シリウスがどうしても伝えられなかったことをわたしはわかっていたし、その必要はないと思っていた。
しかし―――
わたしの中には彼女に事実を凛として告げることの出来ない自分、そしてシリウスへの怒りが燻っていた。 かといってどうすることも出来なかった。
死に瀕している老女に、人間としてごく当たり前の望みを持つ彼女に、その望みは永久に叶えられないと伝えてやることが誰にできるだろう。
かといって、家族に告げられないような関係を続けることに何の意味がある?
わたしにはわからなかった。 一旦考え始めると、そもそも永遠に彼女の望みが叶えられないということ自体がわたし一人の仮定に過ぎない気がしてくる。
シリウスは死の淵に近づいた彼女の望みなら、どんなことでも叶えようとするだろうか。 例えどんなことでも。
家族や親戚に囲まれてにこやかに談笑している彼の姿が脳裏に浮かぶ。 わたしは窓の外から明るい室内を覗き込んでいる。
それが人として、いや人に少しでも迷惑をかけないために人狼がとるべき道なのだろうか。
「あっ」
思わず声を上げた。
「先生、どうしたの?」
ただならぬ気配を察知したのだろう、ハリーが台所に入ってきた。剥きたてのジャガイモの薄黄色い肌が鮮血に染まっている。彼は眉を顰めた。
「深く切った? 指、貸して。」
返事をする間もなく、彼は私の指を強く圧迫する。傷口は小さかったがペティナイフの切っ先が鋭く入ってしまったらしく、どくどくと血が溢れてくる。
溢れる血に躊躇わず唇をつけたハリーにわたしは青ざめた。 例え正しい知識を持っていても、人狼の血に好んで触れる人間などまずいない。
「消毒だよ。錆が入っちゃったりすると危ないからね。」
ようやく顔を上げたハリーは、わたしの凍りついたような表情を見てウィンクした。
「ここ、おさえてて」
そういうとハリーは隣の部屋へ行き、包帯をもって戻ってきた。
きびきびと手際よく巻いていく。 さすがに怪我が多い競技を毎日やっているだけのことはある。 鮮やかなものだ。
「この手じゃ料理はだめだね。 デリバリーを頼もう。」
ハリーは何故手を切ったのか、とは決して聞こうとしなかった。 普段わたしが料理を苦手としていないことなど百も承知のくせに。
そんなところもまるで誰かを見ているようで、奇妙に切ない感情が胸に込み上げる。
ジェームズ、君なら今のわたしにどう言うだろう。 未だに君に頼ろうとするわたしも情けないけれど、君なら必ずや正しい判断をしてくれただろう。
剥かれなかったジャガイモを片付けながらわたしは濃い闇の中にいた。
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ハリーとの夕食は楽しかった。
鬼コーチへの不満や有名選手の素顔など、彼の屈託のない話に耳を傾けていると他のことを考えなくても済んだ。 時々探りを入れるように覗き込んでくる瞳を見なければ、余分な物思いに煩わされることもない。
彼の快活な笑い声は摘みたての苺のように新鮮で、梢を揺らす微風のようにわたしの心を解してくれた。
簡単な食事を終えた後、わたしはハリーにおやすみを言い、早々と寝室にひきとった。
ベッドに入ると、知らず深い溜息が出た。 終りのない議論を一人で続けている。 自分のしっぽを追い掛ける鼠のようだ。
シリウスと家族との関係修復を心から喜んでいるのならリーマス、とるべき道は一つしかないだろう。 わたしは自分に言い聞かせる。 おまえが障害となっているのは明白なのだから。
このまま関係を続ければ、それは彼を苦しめることになる。 身を引く、という単語が頭を掠める。
それが正しいのだろうか?
また別のわたしが問う。 おまえはそれでいいのか。 ここまで積み上げてきたものを何の努力もせずに簡単に手放してしまってよいのか。
ついに手に入れたと思い幸せだと信じきっていた日常は、ほんの些細なことでその形を変える。 いま、「みぞの鏡」を覗けば一体何が映るのだろう。 水晶玉にすら頼りたかった。
覗いてみたかった。 この先、何が待っているのか、わたしはどう運命づけられているのか。
とめどなく溢れる想いにせめて眠りでピリオドを打とうと、寝返りを打って枕に頬を埋めた。 意識を早く遠ざけてしまわなくては。
微かな物音に神経が反応した。 かちゃりとノブが回る音。
「シリウス?」
少し眠そうな声が出た。 自分ではまだ考え事を反芻していたつもりだったのだが、どうやら眠りかけていたらしい。
毛足の長いカーペットの上をこそりとも音を立てずに近づいてきたその気配はベッドのすぐ傍で止まった。 何を躊躇っているのだろう?
もしかして――彼もまた決断を下しかねているのだろうか。 であるならば、わたしの手で幕を下ろした方が良い。
「シリウス、どうかしたのかい?」
わたしは目を開けた。
「ハリー・・・」
ナイトシャツを羽織った彼が目の前に立っている。 淡い月の光が白い布を透かして彼の輪郭を浮かび上がらせていた。 逆三角形に締まった細い身体。
「どうしたんだい? 眠れないのか?」
ハリーは黙ったまま、ことりとベッドの縁に腰を下ろした。
「眠れない、のは確かなんだけど。」
わたしは起き直った。
「悩み事でもあるのかい? わたしでよければ聞くよ。」
微笑んだわたしを、ハリーはまっすぐに見つめた。
「悩み事があるのは先生でしょう。 シリウスとどうかしたの?」
そう来たか。 大方察しはついているのだろう、受け流すことは出来ない。
「どうもしないよ。 ただ、シリウスは家に行かなきゃいけないことが多くなって・・・それだけだ。」
母親の元へ、普通の生活へ帰してやるべきだろうか?
わたしという名の足枷を外して、大空に放ってやるべきだろうか?
「本当にそれだけならそんなに思い詰めた顔はしないと思うけどね。 別れるの?」
わたしは黙っていた。 ハリーの口から出た「別れる」という直接的な言葉の重みに戦慄を覚えていた。
ただいつまでも彼といたいと漠然と願っていた。 ただそれだけの筈が――
顔を上げると、 深い湖のような瞳が目の前にあった。 エメラルドの緑。 ぐらりと吸い込まれてしまいそうに深く澄んだ。
いっそ、その方が楽かもしれない―― ふと掠めたのは自棄な想い。
次の瞬間、何かがわたしの唇に押し当てられていた。
それが口付けを意味するのだとわかるまでに、しばらくかかった。 最初は自信なげな圧力だったのが、少しずつ巧妙に唇を開かせてくる。 慌てて彼の肩を掴み、押しのけた。
ジェームズ助けてくれ、これは夢なのか? それともこれが――君のくれた答えなのか?
「ハリー、悪い冗談なら・・・」
「違う!」
激しく叫ばれた。
「僕は先生が・・・好きだよ?」
優しい声。 ヘッドボードにもたれたわたしに彼はにじりよった。夢だ、夢に違いない。
「ハリー、君にはまだわかっていないんだよ、その言葉の意味が。 同情してくれるのは嬉しいけれど。」
哀しげに睫毛が揺れる。
「違うんだ、先生。 わかっていないのは先生だよ。」
その次に投げかけられた彼の言葉にわたしは唖然とした。
「シリウスに抱かれている先生の声を、僕がどんな気持ちで聞いていたかわかる?」
声も出なかった。
ハリーと暮らし始めて数年が経ち、彼がわたしたちの関係を真に理解するようになってから以前ほど気を使わなくなっていたのは確かだ。 シリウスの力強い腕の中で身も世もなくあがいていた自分の喘ぎ声をジェームズの息子に聞かれていたかと思うと、かあっと頬が熱くなる。
「僕がどんな気持ちだったかわかる、先生?」
もう一度彼は繰り返す。 世界一強い魔法使い、ハリーポッター。 その眼力に縫いとめられて、動くことはおろか息をすることすら出来なくなっていた。
わたしの息子だと――思っていたのに。 この子供は何を言わんとしているのだろうか。 理解しようとしてみても頭が働かない。
強い力で顎を捉えられ、今度は深く口付けられた。 その熱さに意識が遠のく。
夜気を肩に感じたと思った時には、ナイトシャツが半分肩から滑り落ち、クィディッチで鍛えた厚い手がわたしの背中を、そして胸を撫でていた。
触れられたいと願っていた肌はすぐに愛撫に応じ、毛穴が敏感に開こうとしていた。 わたしはうっとりと目を閉じた。
――閉じてしまうところだった。
違う、これではいけない。
わたしはハリーの肩をつきのけて脇へ逃げた。
「ハリー、駄目だ・・・」
驚いたことに彼はわたしの上に圧し掛かってきた。 強い力で手首をまとめられ、頭上で拘束される。
「何が駄目なのか、僕にはわからない。」
甘い響きにくらくらする。 シリウス不在の寂しさが体の中心を猛らせる。
「シリウスといても一生先生の淋しさは埋められないよ。 僕はそんな先生をずっと見てて・・・つらかった。」
「僕ならもっときちんと先生のことを受け止めてあげられる。 もっと大事にする。 アニメーガスになる許可だってちゃんと魔法省からもらうよ。 ファッジなら僕の言うことは必ず聞いてくれるからね。」
彼のお蔭で終身名誉称号と恩給を得た時のファッジの顔を思い出した。 セレモニーに呼ばれ、無邪気に笑っていたこの子供が――こんな打算が出来るなんて。
「シリウスは別の生活に入ればいいよ。 先生と僕とで暮らそう? 僕は先生を絶対幸せにする。」
――この言葉が欲しいと思ったことも、遠い昔にはあった。 結局シリウスは決定的なことは何も言ってくれず、わたしも聞くことをしないまま、うやむやに過ごしたこの年月。
言葉ではない、言葉以外にもっと大切なものがあると信じてきた。 でもこの真っ直ぐな言葉は――わたしを貫いた。
「先生が嫌だと言うなら無理強いはしないよ。 でも僕の気持ちはそういうことだから。」
キスの甘さに愕然とする。 もう子供でも何でもない。 彼は快楽を与えることの出来る男、なのだ。
手首を抑えていた力がゆるむ。 身体の上の心地よい重みが消えた。
目を開くと緑の光は頭上遥か高いところにあった。
「僕が先生にしてあげられることを忘れないで。 おやすみ、先生。」
わたしの言葉を待たずにハリーはするりと出て行った。
入れ替わるようにして、物音が聞こえた。 階下から階段を上って近づいてくる。
大股に上がってくるのは彼の機嫌が良いしるし。
わたしは慌ててシャツのボタンを留めた。
どんな顔をすればいいというのか―――
心臓の鼓動が伝わらないよう身体に固く毛布を巻きつけて、わたしはただ目を瞑るしかなかった。
-fin-
七瀬陸弥様のサイト「Marmalade Prism」開設祝いとして、書いてしまいました。 ハリーマス。(笑)
裏BBSで私を焚き付け、メールでその気にさせられてセリフの一部まで頂いて・・・ ああ、誘惑には弱い私です。 やっちまいました。 三十男の心の隙間につけこむ18歳ハリーです。
巧妙です。 多分黒犬が帰ってこなかったら、完全に負けてたでしょう、先生は;
七瀬さん、無駄に長くてすみませんー(><) こんなもので許して頂けるでしょうか? とにかくサイト開設おめでとうございます!
completed 02/03/10
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「le passage」のあくしあ様からこんな素敵な開設祝い頂いちゃいました〜!!
ハリーマスですよ!ハリーマス!このリーマスの切ない心情といったら…!
18歳ハリーのこのオトコっぷり!そしてそして揺れるリーマスっっ!
悶えっぱなしですよ、あくしあさんっっ。
シリウスが帰ってきたことに「ちっ」と思ったのは私だけではないハズです!(とてもシリルー好きとは思えない発言/笑)
ああ、焚き付けてよかった…(笑)
あくしあさん、本当にありがとうございました〜vvv