『pass/word』

     P17より


「ねえ、不二」
「何?」
「このままサボっちゃおうよ」

「……」
 上目遣いに強請るように誘う。気軽さを装いながら、その実かなり必死な自分がおかしかった。
 曖昧な期待と、それを包む困惑とが混じりあって菊丸を焦らせる。
 一緒にいたい。
 ただそれだけのようで、それだけに大事な何かがそこにあるような気がした。
「…駄目に決まってるだろ」
 予想通りの答えだったが、その声が微かに揺れていてハッとする。
 菊丸を見下ろしていた不二の視線が逸れて机の上に落とされた。
 いつものように言い切れなかったことに不二自身も困惑しているようで、腕の中の教科書をぎゅっと強く抱え直す。
 二人の間に何か隠されていたものが浮かび上がり、静かに横たわるのを感じた。
「…ダメだよ、英二」
 不二の声が掠れていて不二も同じものを感じたのだと悟った。
 心臓が五月蝿く鳴り響く。
 誰もいない教室を満たす静けさを、鼓動が揺らす。
「いいじゃん、どうせ次の実験って何かすげー地味なやつっしょ? ね?」
 手を伸ばして不二の手をそっと掴んだ。
 不二の体がビクリと揺れ、彼の腕から教科書が滑り落ちる。
 それらが床を打つ乾いた音と、授業の始まりを告げるチャイムの音が重なった。
「…屋上行こうよ。今日は天気いいから暖かいよ」
 再び静寂が訪れた教室に、菊丸は自分の声が他人の声のように響くのを感じた。
 睫毛を伏せた不二の目蓋の白さに、彼の手を握る菊丸の手が微かに震える。
 早く屋上に行かなくてはならない。
 あの、澄んだ空の下へ。真昼の明るさの中へ。
 飽和してしまった感覚を元に戻すには、それらの力が必要だと思った。
 このままここにいたら引き返せなくなる。
 自分でも何を望んでいるのかわからないまま、焦りと苦しさが胸を締め付けた。