| ベンディングマシーン 喉が乾いたと言い出した張本人の口から飛び出した耳を疑う返答に、頭を抱えたくなってしまっ た。 「あのさ、」 「何だよ」 告げられた言葉を頭の中で反芻しながら、千石は平然と見返してきた目の前の男を心底呆れて 見遣る。 「カードと万札しかないってそれ何か新手の冗談?」 溜息混じりにこぼしたその言葉も、彼の整った眉を僅かに顰めさせただけで終わってしまった。 この男に普通の中学生の感覚を求めるのは間違っているということくらい、厭になるほど知っ てはいたが。 どうせ何かを言ったところで鼻で笑われるのが落ちだった。 千石の常識など、彼にとってはゴミ同然だ。 わかっているのだ。そんなことくらい。 仕方なくポケットの中を探ってみると、指先に冷たい硬貨の感触がした。出所が財布ではなく ポケットである時点ですでに先が見えている。こんな日に財布を忘れてくるあたり、あの異名も 少々危ないかもしれなかった。 取り出して手の平に転がした硬貨がチャリンと脳天気な音をたてた。 思わず細い溜息が零れる。 自動販売機を前にして、千石のポケットから出てきた全所持金。二百十円。 自分の分だけなら問題ないのだが。 「ねえ、ホントに五十円でいいから細かいのないの?」 「ねーって言ってんだろうが。小銭なんてンな邪魔なもん持ってるわけねぇだろ」 ここまで偉そうに宣言されると何やらこちらの方がおかしなことを言っているような気になっ てしまうから不思議だ。 思わず今までこうして押し切られてしまった事柄がどれだけあっただろうかと数え上げそうに なって止める。 惚れた弱味、だなんて誰が言ったか知らないがあまりにも身につまされすぎて、すでに悔しさ の域を通り越していた。だがそれでもやはり少しだけ悔しくて、千石は唇を尖らせた。 「普通さ、買物しておつりくらい出るでしょ? カードじゃない時とか」 「そんなモンはあれだ…」 珍しく言い淀んだ跡部に、何だろうかと興味津々で続きを待つ。 やがて彼はじっと見つめる千石から僅かに視線を逸らすと、観念したようにボソリと声を落と した。 「その…募金箱とかいうのがあんだろーが」 「ぼきんばこ」 瞬きすら忘れて思わず復唱する。 呆然と見つめていたら、 「何だその阿呆面は」 ズボンのポケットに手を突っ込んだまま蹴ろうとしてきた足を慌てて避けた。ただでさえこの 制服は汚れが目立つのだ。足跡など付けられたらたまったものじゃない。 「あほづらって、感動してたとこだってば! なんか惚れ直しちゃった」 彼がレジの脇で募金箱に小銭を入れているところを想像して、思わず顔がニヤけてくる。眉根 を寄せて睨んでくる頬がごく微かだが上気しているところもまた、千石の胸を躍らせた。 「エヘヘ。可愛いなー跡部くん」 「あア? 犯すぞコラ」 もう一度飛んできた蹴りをかわしながら「きゃー助けてー」と裏声を出して笑う。 しかめっ面で髪を掻き上げている跡部を眺めて、緩やかに体温が上がるのを感じた。 キスがしたい、と思った。 「ねえ、だからさ。ジュース一本分しか無いんだけど?」 乱れた前髪が薄い目蓋をくすぐる。彼と居るといつも、体中の感覚が僅かだが剥き出しになっ たような気がする。 手の平に並べた硬貨を見せると、一呼吸分の空白の後に答えが返された。 「そのゲームみたいなやつで当てればもう一本出てくんだろ? お得意の動体視力があんだろう が」 自動販売機を顎で示されて、千石は無言でチラリと跡部を見遣った。 わざと訊ねた自分と、わざと指摘した彼と。 さて、どう出るべきか。 「オーケー」 跡部に背を向けて自販機へと歩み寄り、チャリン、と手の中の硬貨を鳴らす。 一枚ずつ挿入口へ落としながら、後方の距離を想った。ほんの数歩の距離に緩やかな熱が満ち ていく。ざわざわと心を撫でられるのに、何故かひどく安心する熱だ。 背中に視線が注がれている気配に、千石の鼓動が速まっていった。 どう出るべきか。 「外しても怒んないでよ」 そう告げながら最後の硬貨を押し込む。それが中へと落ちる音が聞こえてくる前に、答えは決 まっていた。 跡部からの返事は無かった。 軽やかな音楽と共に、赤い光が円状に連なった小さなランプの先を移動していく。当然のごと く千石の目はその動きをちゃんと追っていて、更に言ってしまえばここの自販機でのボタンを押 すタイミングまで実のところ知っていた。 真上から時計回りに数えて六つ目のランプ。そこが灯った瞬間に押せば、それでいい。 簡単だ。 コマ送りのように見える光の移動をじっと見つめたまま、指をボタンへと伸ばす。 1、2、3── 「……」 ピッ、という軽い電子音が上がったのと同時に減速していった光の動きが、やがてゆっくりと 止まった。 続いて、ガコンと缶が吐き出される鈍い音が響く。 音はそれだけだった。 「──なに外してんだよ、使えねぇ奴だな」 不機嫌そうな声を背中で受けながら、屈んで取り出し口から缶を拾い上げる。 無愛想なその声に含まれた微かな安堵の色も、確かに拾い上げた。 思わず緩んでしまった頬を急いで引き締めてから振り返る。 視線を絡めたまま無造作に歩み寄り、はい、と手の中の缶を差し出すと、彼は横柄なくせに上 品さの滲む仕草でそれを受け取った。 「わざとだよ」 缶が手から離れる瞬間、そう告げながら目を細めて笑う。 千石のその言葉に、予測していた確かさで跡部は続きを問う視線を送ってきた。彼もやはり、 全て知っているのだ。 応える為にもう一度、千石はゆったりと微笑んでから口を開いた。 「だって一緒に飲めないじゃん」 「……」 その手に何でも持っているくせに、わざわざこんな言葉一つを欲しがる彼のこのアンバランス さは何なのだろう。 「……ホント使えねぇなオマエ」 次々と溢れてくる温かな水がじわじわと細胞を潤していく。 「ひっどいなぁー跡部くん」 この愛しさは、どうだ。 すっと視線を逸らした跡部が、不機嫌そうな表情を保ったまま音高くプルトップを引き上げた。 そのまま口に運び、一口流しこんだ瞬間に咽せかけて唇から離す。 「何だよこのクソ甘い液体は…!」 千石は素知らぬ顔で喚く跡部の手から素早く缶を奪い取ると、ごくごくと何口か飲んでから再 びへらりと笑って彼の手の中へと缶を押し戻した。 「何ってイチゴオレ。美味しいでしょ?」 「余計喉乾くじゃねぇか!」 くるりと軽い動作で跡部の方へ向き直ると、予想していた通りにじろりと睨まれた。溢れてく る笑みを止めることができず、クク、と喉の奥を鳴らす。 「気持ち悪い笑い方してんじゃねえよ」 それでも眉を顰めてもう一度缶を唇に運ぶ彼を、やはりどうしようもなく愛しいと思った。 fin. ---------------------------------------------- ベンディングマシーン=自動販売機。 (20041203) |
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