花くらべ





  二人しかいない部室の中で、こうも視線を注がれていたらさすがに落ち着かない。気づかない
 振りを続けていた不二は、諦めて細い溜息を漏らした。
 「何? 越前?」
  雑誌を繰る手を止めて顔を上げると、予想通りに黒い瞳とぶつかる。
  大きな、真直ぐな瞳。
  物怖じしない彼はいつも挑戦的な笑みと共に不二を見つめてくる。挑むように。そして、見透
 かすように。
  その瞳の中に別の感情が混ざっていることに気がついたのは、ほんの少し前のことだ。
  気がついたのではなく、気づかされたのかもしれない。
  彼はいつも不二の逃げ場を奪うのがとても上手い。その揺るぎない精神で、心を捕らえる。
  自分は、強い光をたたえた越前の瞳を愛しているのだと思う。
  その真直ぐさを。強い意志を。
  ここにはいない、赤い髪の彼とは別の意味で。
  今は越前はその瞳を不機嫌そうに細めて、じっとこちらを見据えていた。
  目線で返事を促すと、幼さの残る眉を顰めて低い声を押し出す。
 「…そんなにあのヒトがいいの?」
  唐突な言葉に一瞬戸惑ったが、すぐに答えに辿り着いた。
  不二が口を開くのを遮るように再び声が投げられる。
 「部長ならともかく」
  あまりに正直な物言いに、思わず噴いてしまった。
 「言うね、君も」
  あのヒト、が聞いたらどんな顔をするだろうか。
  そう思ったら可笑しくて仕方がなくなり、不二は声を出して笑った。
 「どこがいいわけ?」
  笑うどころか堅い表情で問われて、不二は笑うのを止めて目の前の後輩を見つめた。
  睨むようにこちらに向けられた瞳には、深く鋭い光が揺れている。
  ああ好きだな、と思った。この、愛すべき瞳。
 「そうだなぁ…」
  軽く睫毛を伏せて自分の心の中を探ってみる。
  ここにはいない、あの彼の。
  髪を撫でる手。日溜まりの笑顔。見つめる瞳。声。体温──。
 「──どこだろうね」
  静かに、ゆっくりとそう答えてそっと微笑む。
 「……」
  ふいに、黙ったまま越前が視線を逸らした。
  不貞腐れたような顔で帰り支度を始める。
 「もういいの?」
 「…もういい」
 「まだ何も言ってないけど?」
  不二の方を見ずに粗い動作でテニスバッグを肩に担いだ彼に問いかけると、動きが止まった。
 「そんなの言わなくたって、」
  仏頂面が、肩越しに睨む。
 「…アンタのそんな顔、見たことないもん」
  眉間に皺を寄せたまま呟くようにそう続けた。
 「……」
  思わぬ言葉に返事に詰まった。
  チェッと悔しそうな舌打ちが聞こえて、越前の足がベンチを軽く蹴る。
 「俺のこと思い出してもああいう風には微笑ってくれないでしょ?」
 「そうかな?」
 「よく言うよ。わかってるくせに」
  相変わらず不貞腐れたような声で言われて、不二がクスクスと笑う。
 「不二先輩、」
  外へと続く扉に手をかけたまま、越前が振り返った。
  幼さを残した不機嫌そうな表情は消えていて、挑発するように口の端が上がっている。大人び
 た、鮮やかな笑み。
 「言っとくけど諦めたわけじゃないから」
  返事の代わりにゆったりと微笑んで見せると、越前は一瞬目を細めて、それからもう一度チェッ
 と小さく舌を打った。今度のそれは先程のよりも甘く響いたような気がした。
 「…この後ここに来るあのヒトにもそう言っといてよ」
  そう言い捨てた小さな体が扉の向こうに消える。
  鈍い金属音を響かせて扉が閉じ、静かな空気が不二を包んだ。
  目には見えない暖かくてふわふわとしたものがいくつも床に残されているような気がして、不
 二の口元が緩む。遠ざかっていく足音が耳をくすぐった。
  脇に置いていた雑誌を手に取り直し、読みかけていた頁を開く。チラリと時計に目を遣り、あ
 あもうすぐだ、と思った。その時。
 「何だよ、目つき悪いぞおチビー」
  遠くで上がった聞き慣れた朗らかな声が、扉越しに微かに聞こえてきた。
 「余計なお世話っスよ」
  続いて届いた不機嫌な声に、雑誌を繰る手を止めた不二は小さく噴き出して笑った。










  fin.





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(20040311)













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