| イヤーマフ 早朝の澄んだ空気が肌を張らせ、吐く息を白く変える。 二人の他に誰もいない道路には靴底がアスファルトに立てる乾いた音だけが響いていた。 「ちょっと待って、不二」 立ち止まった菊丸に合わせて不二も足を止めた。 「はい、プレゼント」 鞄から取り出した銀色のリボンのかかった包みを差し出すと、不二は不思議そうに瞬きをしな がら菊丸と包みを交互に見遣った。 「…今日って何かあったっけ?」 「いや別に何かの日ってわけじゃなくて。単に、プレゼント」 はい、と手袋に包まれた不二の手の上に乗せる。 「ありがとう」 僅かに視線を逸らした不二が少し困ったように微笑った。 不意打ちが苦手な彼の、動揺した時の癖だ。 照れ隠しが案外下手だということを初めて知ったのはいつだっただろうか。 「開けていい?」 菊丸の緩んだ顔に気が付いた不二が、さっと不安定な表情を消して隙の無い微笑みを浮かべた。 可愛くないなぁ、と思う菊丸の頬はやはり緩んだまま戻らない。 「うん、開けて」 「何だろう? いつも宿題見せてあげてるお礼とか?」 「ハズレ」 わざと意地悪く笑う不二に、菊丸が唇を尖らせる。 ふふ、と笑顔を緩めた彼に一瞬見蕩れた。 「何だかワクワクするね」 そう言って不二は嵌めていた手袋を外してコートのポケットに押し込むと、銀色のリボンに露 になった指を絡めた。 普段から見慣れているはずなのに、覆う物を取り去った彼の白い手は隠されていた秘密を垣間 見るような感覚を菊丸に与えた。細胞の隙間からすっと入り込んでくるような、生々しい感覚が 胸の奥を撫でる。 「…理由ならちゃんとあるんだけど、」 器用に包みを解いていく細い指を眺めながら呟くと、不二が顔を上げた。 目線で続きを促してきた彼に、 「恥ずかしいから言わない」 ニヤリと笑ってみせた。 手を止めて一瞬何かを言いかけた不二の唇が、何も言わずにゆっくりと閉じる。 カサカサと包装紙が立てる音が二人の間に流れた。 「あ」 ふいに、彼の指先の動きが止まる。 リボンと包装紙の殻の中から現れたそれを眺めて、不二はくすぐったそうに笑った。 取り繕う間もなく溢れ出たその微笑みは菊丸の胸を蕩かして鼓動を叩いた。一瞬息が詰まり、 次の瞬間には胸の奥が震えた。 この想いは、苦しさによく似ている。 「どう?」 「ウサギみたい」 両手で包むように持ちながら、不二がもう一度クスクスと笑った。 彼の手の中で白いファーがふわふわと揺れる。 冷えた手に包まれた、雪色のイヤーマフ。 「着けてみてよ」 着けてあげる、と言おうとして何故かそう言ってしまった。伸ばしかけて所在を無くした両手 をコートのポケットに無造作に突っ込む。 「…どう?」 小さな耳をそれで隠した不二が、らしくもなく躊躇いがちな声で訊ねてきた。 薄茶色の髪にふわふわと雪色のファーが揺れる。 柔らかな空気を含んだそれは、寒さのせいか僅かな赤味を差した彼の白い肌によく馴染んだ。 「似合う似合う。すっげ、可愛い」 「可愛いって言われてもなぁ」 男としてちょっと複雑な気分、と苦笑しつつも、その指先で何度もファーを優しく撫でた。 「ありがと英二」 「暖かい?」 「うん、暖かいよ」 再び肩を並べて歩き出しながら横目に不二の姿を見遣った。 いつも薄茶色の髪の間からのぞいていた形の良い耳が、今は白い毛並に隠されている。 ふわふわと胸の奥までくすぐられそうなそれは、不二を覆う凛とした空気に隠されている幼い 柔らかさを引き出しているようだった。 冷気から守られているはずなのに、かえって無防備な色を彼に添えている。 「…逆効果だったかな」 彼に似合いそうだとそれを選んだのは他ならぬ菊丸自身だったのだが。 「え?」 思わず呟いた言葉を拾った不二が振り向いて首を傾げた。 視線が絡んだ瞬間、心臓が跳ねた。 見慣れているはずなのに、やはり彼はこうやっていつでも簡単に菊丸の心を乱す。 「だって不二、可愛いんだもん」 菊丸の中でしか繋がっていない言葉に不二が怪訝そうに瞬きをした。 「それは誉めてんの?」 「もちろん」 「何が逆効果なの?」 忘れているのか故意になのか手袋が外されたままの不二の手が、テニスバッグを担ぎ直す。 パサリと揺れた薄茶色の髪と、雪色のイヤーマフ。 外気に晒されている指が冷たそうで、またいつものあの想いがじわりと菊丸の胸に広がった。 胸を締めつけては、甘い疼きを残して消えていく。 こんなのは自分らしくない。 告げることすらできないなんて。 ポケットに突っ込んだままの両手を握りしめた菊丸は、苦笑を浮かべてまたすぐにそれを消し 去った。 いつものように失うことへの恐怖が濡れた衣服のように纏わりつくのを感じながら、みっとも なく早鐘を打つ鼓動を振り切るように、大きく息を吸い込む。胸の奥がチリチリと痛んだ。 「不二ってさ、色白いから寒い日は耳が赤くなってんだよね。それ見てるとさ、」 一度言葉を切り、不二の瞳を見つめてニヤリと笑ってみせた。ポケットの中で、手が微かに震 える。 「ぎゅって抱きしめて、耳、暖めたくなるから困んの」 「……」 「他の奴もそう思ってたらヤダからさ、隠しちゃえって思って。でもすっげー可愛いんだもん」 ね、逆効果でしょ、と菊丸が笑うと、不二がすっと視線を逸らした。 菊丸の方を見ることなく睫毛を震わすような瞬きをした不二は、足下に視線を落としたまま無 言で自分のマフラーを顎の上まで引っぱり上げた。 マフラーに埋もれてしまった頬の、隠れきらなかった部分が微かに染まっていた。 不二の指がそっとイヤーマフを撫でる。 「…これ着けてるとよく聞こえないんだけど」 埋もれた毛糸越しにボソリと呟く声が届いた。 「聞こえないんだ?」 「うん、聞こえない」 「ふーん」 不二の淡々とした声に、口元が緩んできてどう仕様も無かった。 込み上げて来る暖かな流れが胸を攫う。少しだけ泣きたくなって菊丸は困った。 「もしかしてこれくれた理由でも言ったの?」 可愛げなく言い放つ彼の視線はやはり逸らされたままで。 思わず抱きしめてしまいたい衝動に駆られ、体内を焦がすような想いのままに菊丸は声を出さ ずに笑った。 「全部じゃないけどね」 緩んだ声のまま答えると、不二は睫毛を伏せたまま、ふうん、と呟いた。 頬の赤さにイヤーマフの雪色が柔らかく映えている。 マフラーが邪魔をして表情はよく見えなかったが、それでもひどく幼い感じがして菊丸の胸を くすぐった。 いつもきちんと身なりを整えている不二だけに、その不自然なマフラ−の位置がおかしくて仕 方がない。 いつまでそうしているつもりなんだろうと、菊丸は俯いて小さく笑った。 「ねえ、英二」 「ん?」 顔を上げると、また不二の細い指が耳元の白いファーを撫でるのが見えた。 綺麗な、指。 胸の奥を直接撫でられているように感じて、菊丸の鼓動が早まる。 「あんまりよく聞こえないからさ、」 一度言葉を切り、不二が小さく息を吸い込んだ。 「試しに言ってみなよ──残りの理由っていうやつ」 そう言い放った不二の眉は怒ったように寄せられているくせに、その声はひどく頼りなかった。 降参、の意味を込めて菊丸が静かに笑った。 早鐘を打つ鼓動が苦しくて、不二はどうなのだろうか、と頭の隅でふと思った。 彼も今、苦しいのだろうか。 こんな風に。 目眩にも似た重さで。 息を吸い込み、不二を見つめる。 声が震えないよう気をつけながら、菊丸がゆっくり口を開いた。 「だってさ、好きな子のこと暖めてあげたいって思うじゃん」 不二の睫毛が音もなく上がり、そのまま静止した。 好きな子。 馬鹿みたいに単純で、馬鹿みたいに想いが込められた言葉だった。 絡み付く鼓動が息を詰まらせ、ポケットの中で握りしめた手に汗が滲む。 「──聞こえた?」 笑おうとして失敗した顔が、軽い調子を作った声を裏切ってしまった。 だがそんな菊丸に気づくことなく、不二の視線はすっと足下へと落とされた。 「…聞こえない」 怒ったような小さな声でそう呟きながら、彼の白い指がマフラーを更に上まで引っぱり上げる。 「ふーん。聞こえない、ねえ?」 すっぽりと収まってしまったマフラーの巣から赤く染まった目元をのぞかせている不二を横目 に、菊丸はクスクスと笑い出した。 早朝の空気は肌を切るように冷たいのに、日溜まりのような暖かい流れが体の奥から湧き上がっ てきては菊丸の胸を溶かしていく。 跳び上がって、叫んで、駆け回ってしまいたくて、菊丸は俯いて破顔した。全ての光と、全て の優しいものへ。声に出さずに叫ぶ。 「聞こえないって言ってるだろ」 相変わらず怒ったように言い捨てた不二が、足音を響かせるようにして歩を早めた。 彼の耳を覆うイヤーマフを取り去って、その赤さを確かめてみたい衝動に駆られたが、それも 彼は寒さのせいにするに違いない。きっと。 菊丸はもう一度声を上げて笑うと、先を行こうとする不二に追い付いた。 「聞こえないみたいだから許可はとらずに勝手に手を繋がせてもらいます」 神妙に言ったつもりなのに、声に笑みが滲んでしまった。 視線を逸らしたままの不二の冷えた指に自分の指を絡ませる。 一瞬ビクリと強張った不二の指が、縋るように菊丸の指を握り返した。 もうすぐ、雪がやってくる。 fin. -------------------------------------------- 最後のところは不二からの告白でもあったりします。 両思いな二人。 (20040206) |
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