| プリズム 「お疲れ」 どちらからともなく声をかけ、蛇口をひねった。 不機嫌さを隠しきれていない菊丸の様子に気づいているのかいないのか、隣の不二は気に留め る気配もなく汗を洗い流すことに専念している。 試合を終えた体はまだ僅かにけだるい熱を帯びていて、流れ出た水へ浸した手がじんと痺れて 心地良かった。 水流に手を晒したまま、菊丸は見た目に似合わず大雑把な動作で顔へ水をかけている不二の横 顔を眺めた。 午後の陽が水滴に反射して光の粒が跳ねる。 菊丸の視線の先で、顔を上げた不二の前髪から零れた水滴が柔らかな頬を伝って地面に落ちて いった。 彼の伏せた睫毛の先に絡んだ水滴が、小さく揺れている。 上がった体温を誤魔化すように、菊丸はバシャバシャと少し乱暴に顔を洗った。 流れ落ちた水がポロシャツの襟に染み込んでいったが、元より汗で濡れていたので気にせず続 ける。 キュッと蛇口を閉めると水音が途絶え、木々の向こうの喧騒が遠く響いた。 流しの上に置いてある自分のタオルを無視して、不二の首から下がっているタオルに顔を埋め る。 不二が使ったばかりのそれは少し湿っていて、そこから彼の体温を探そうとするかのように頬 を押し付けた。 微かに笑みを含んだ吐息が零され、菊丸の耳に滑り込む。 「それ、僕のタオルだよ」 「うん。知ってて使ってんの」 柔らかなタオルに顔を埋めたまま、頭上の声に素っ気無く答えた。 甘い香りが鼻孔をくすぐる。 不二はいつも甘い香りがする、ような気がする。 彼の指が菊丸の髪を優しく撫でる感触に、顔を埋めたまま目を閉じて息を吸い込んだ。 「…どういう関係?」 「え?」 低く押し出した声に、不二の手が止まった。 菊丸はゆっくりと体を起こすと、目の前のきょとんとしている顔を見下ろした。 睨むように見据え、 「佐伯。試合前も何か話してた」 不機嫌な声で言い捨てる。 まるで子供みたいだと自覚しつつも眉間に皺が寄っていくのがわかった。 そうしながらも、不二がどんな表情を浮かべるかを怖れた心臓が情けなく鳴り響く。 いつだって情けないのだ。 苦しくて、どう仕様もなくて、それなのに逃げることは選択肢にない。 不二への選択肢は、いつも一つだけだ。 「ああ、見たんだ?」 素っ気無いほどあっさりと、不二の声が返ってきた。 それは、その言葉以上でも以下でもない顔で。 「どういうって幼なじみだってば。言っただろ?」 彼の瞳に翳りが無いことに目蓋を閉じてしまいそうなほど安堵しながら、自分だけが余裕がな いように思えて、少し、悔しかった。 「何話してたの?」 不二の表情を見れば彼が嘘を言ってないことなどわかるのに。 それでも、胸の端に根付いている不安に促されるままにしつこく食い下がってしまう。 胸の奥をじりじりと灼く重たい熱が息を詰まらせた。 不二が悪い。 こんなにも好きにさせた、彼が。 「んー別に。久しぶりだねとか。裕太の…」 不二の柔らかな髪が菊丸の頬を掠め、小さく上がった声が耳をくすぐった。 抱き寄せた薄い肩に頬を埋めると、ふいを突かれて強張っていた彼の体からゆるゆると力が抜 けていく。 許されている。 それを感じるこの瞬間が、たまらなく好きだ。 腕の中に収まった体温に泣きたくなる。 「英二、誰か来るかも、」 「うん。知っててやってんの」 拗ねた子供のように応えると、不二が小さく笑った。 合わさった体と耳の両方から感じたそれに、胸の奥が微かに震える。 小さな子供をあやすように菊丸の背中をポンポンと叩いて、不二がまた笑った。 「ヤキモチ妬き」 楽しそうに呟かれた彼の声に菊丸しか知らない温度が滲んでいて、苦しさにも似た温かい熱が 胸を満たした。 彼はわかっていないのだろう。 この胸を浸す熱を。花の香りを。 「…誰のせいだよ」 体を離して睨んでやると、長い睫毛がゆっくりと上下した。 「うん。知ってて言ってるんだよ」 そう言って不二が憎たらしいほど綺麗に微笑ったので、菊丸はもう一度だけ強く彼を抱きしめ た。 fin. -------------------------------------------- この二人はタオル共有が基本です(オフィシャル)。 (20040514) |
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