| 過ぎ往くもの とどまるもの 静かな寝息が聞こえてきてそっと振り返ると、ベッドで本を読んでいたはずの不二の目蓋がい つの間にか緩やかに閉ざされていた。 背中を少し丸めるようにして横たわる彼の投げ出された白い手の先で、読みかけの紙面が所在 なく揺れている。 微かに疲労の色を滲ませた薄い目蓋を見つめながら、ゆっくりと上下するその肩を毛布で包ん でやった。あれほどの練習量に見合わず、彼の肩は薄く、どこか儚い。 ふと壁の時計に目を遣ると、あと五分ほどで日付が変わるところだった。 起こしてしまわないように注意して躰を伸ばし、ベッド脇に置かれている小振りの目覚まし時 計を手に取る。十二時ちょうどにセットされているアラームをオフにして、そっと元の場所へと 戻した。少し考えた後に、自分と不二の両方の携帯の電源も切る。 時計のアラームは、部活帰りにこの部屋に来てすぐに持ち主には無断で菊丸自身がセットした ものだ。 「でも正確にはどっちの日に祝ってもらったらいいのかな」 誕生日を一緒に祝いたいと言った時に、いいよ、と答えた不二が呟いたその言葉が耳の奥に甦 る。 「僕の本当の誕生日は、瞬きする間に終わってしまうからね」 そう言って、不二はふわりと笑った。 それは何の感傷も執着も含まれていない、ただ単に事実をなぞるだけの微笑みでしかなくて。 そんな風にまるで他人事のように話す彼に、腹立たしさに似た痛みがチクリと菊丸の胸を刺した。 「不二の場合は特別二日間とも祝っていいんだよ」 思わず強くなってしまった語気に、大人気なさを感じて眉間に皺が寄る。何に対する悔しさな のかはわからなかったが、もどかしさにひどく息が苦しかった。 不二は先刻と全く同じ微笑みを浮かべて、 「そっか。何か得した気分だね」 とやはり他人事のように答えたが、ありがとう、と小さく呟いて菊丸の頬にそっと触れてきた 指先には紛れも無く深い感情が込められていた。 時計の秒針が奏でるカチカチという微かな音が静かな寝息に混じって空気を揺らす。 あともう幾周もしない内に、日付が変わるのだ。 不二の薄い目蓋の上を、カレンダーには無い「29」の文字の上を、音も無く通り過ぎて。 ベッドの枕元へゆっくりと腰を下ろすと、目の前の色素の薄い髪へと手を伸ばしてさらさらと 梳いた。額にかかる前髪を指先に絡めた瞬間、鼻にかかった微かな呻き声と共に身動ぎされて慌 てて手を引っ込める。 時計を見る。あと、もう少し。 視線を巡らせた拍子にふと視界の端に映った物を、菊丸は動きを止めてじっと見つめた。机の 横に置かれたその紙袋からは、いくつもの色鮮やかな包装紙がのぞいている。 朝から何度も繰り返し見てきた光景を思い出して、菊丸は顔を顰めた。 たくさんのプレゼント。たくさんの言葉。たくさんの、想い。 彼の為に喜ぶべきものであることくらい、わかっているのに。 「…だってさ、仕方ねーじゃん」 やはり自分は、心が狭い。 菊丸自身の誕生日には逆の立場になるわけなのだが、それとこれとは話が別だった。棚上げく らい、いくらでもするというわけで。 「すげームカつく」 唇を尖らせて呟き、もう一度彼の前髪に触れた。今度は、身動ぐ様子は無い。 シーツの上に置かれた手首の白さが目につき、無意識に息を止める。 滑らかな頬。薄らと疲労の滲む目蓋。彼を覆う張りつめた膜が、今はどこにもなかった。 手を伸ばせばすぐに触れる距離で、全てが無防備に投げ出されていて。 それはひどく、心地良い。 考えてみたらいつもは寝付きのいい菊丸の方が先に眠りに落ち朝は不二の方が早く目を覚ます ことが多いので、あまりこうしてじっくりと彼の寝顔を見つめる機会は無かったように思えた。 不二はいつもどんな気持ちで菊丸の寝顔を見ていたのだろうか。彼もまた、こうして菊丸の髪 に触れたりすることがあるのだろうか。こんな風に、焦がれる想いを抱くことが。 頬が少し熱くなり、目の前の滑らかな頬に触れようとしていた手が宙を迷う。 今度訊いてみようか、と思いまたすぐに、やはり訊かないでおこうと思い直した。 そろそろだろうと視線を巡らせ、おっ、と声を上げて時計の針を凝視する。 さん、に、いち。 「──おめでと」 白い額にそっと口付けて、息を漏らすように小さく笑った。 毛布を捲って隣に潜り込み、優しく滲む不二の体温にもう一度小さく笑う。 明日は彼より早く目を覚ませたらいいなと思いながら、菊丸もまた緩やかに目蓋を閉ざした。 fin. ---------------------------------------------- 不二おめでとう〜! (20060228) |
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