| 宵待人の目蓋 不本意ながら参加した馬鹿げた企画から解放された時にはすでに彼の姿は無く、軽食をとりに 行こうという仲間からの誘いを断って会場内へと走り出た。 立ち並ぶ模擬店やそこかしこで行われている数々の余興に、賑やかなざわめきが青い空へと抜 けていく。 周囲へと視線を巡らせながら、人波を縫うように進んだ。 これだけの人の量とはいえ、目立たない容姿ではない。 だがまるで忽然と消えてしまったかのように銀色の髪は視界の隅にすら引っ掛からず、ようや く人込みから離れたところでつまらなそうに遠くの喧騒を眺めている姿を見つけた時には、息が 僅かに上がっていた。 軽い苛立ちと、自分でも思ってもみなかったほど深い安堵の念が胸を掠める。 「どういうつもりだよテメェ」 駆け寄って息を整えながら低い声で訊ねると、仁王は振り向きもせずに壁にもたれたまま薄い 笑みを浮かべた。 何を考えているのか分からないと感じることなどいつものことだったが、この時もまた、緩く 伏せられた瞳から彼の感情を読み取ることはできなかった。 「それに勝手に消えてんじゃねえよ」 さんざん探した、という言葉は続けずに呑み込む。言わずとも先程までの息の乱れから彼がそ れに気がつかないはずはなかったが、自分ばかりが必死なようで告げてしまうのは何だか悔しかっ た。 「待ってろなんて言われんかったけぇ」 仁王の唇が笑みを浮かべたままゆったりと告げる。気怠げに首が巡らされて、視線がこちらへ と向けられた。 宍戸の視線と絡まり、すぐにまた逸らされる。 「だからどういうつもりなんだよおまえは。あんなふざけたことさせやがって」 「まーまーええやないの、そんな怒らんでも。案外楽しかったじゃろ?」 「楽しいわけあるかよ!」 「おかたいのう」 クク、と仁王が小さく笑った。 逸らしたまま合わせようとしない視線に、苛立ちを覚えて眉根を寄せる。 元々、人と話をする時に相手の目を見ないことが好きではなかった。だがこの苛立ちは、そん な処とは別の場所で作られた、異なる種類のものだとわかっていた。 「仁王」 堪えきれずに名を呼んだが、仁王は瞳を上げようとはしなかった。 ざわざわとした鈍い痛みが胸を撫でる。 もう一度呼ぼうとしたのを遮るように、彼の唇が静かに動いた。 「…ずいぶん簡単に騙されるんじゃな」 そう呟いた仁王の口元にはやはり薄い笑みが浮かべられていたが、ふいにその声に含まれてい る感情の粒に気がついて宍戸は戸惑った。 伏目がちに地面を見つめている仁王の仄白い目蓋を見つめる。視線の先で、彼の意外と長く艶 やかな睫毛がゆっくりと上下した。 騙されたのは、こっちなのに。 「悪かったな単純で」 何故、彼が傷ついた顔をしているのだろうか。 上手く言葉を見つけることが出来ぬままに間に合わせの返事を投げると、仁王の顔にするりと 元の感情の読めない表情が戻った。その唇から、薄い笑みだけが消えていた。 「そんなこと言うとらんよ」 「じゃあ何だってんだよ?」 「……」 仁王はそれには答えずに、視線を足元へ落としたまま束ねられた後ろ髪を指先で弄んだ。 「仁王、」 「で、おまえは誰を選んだわけ?」 「ああ?」 ふいを突かれて訊ねられた言葉の意味を取り損ね、眉間に皺が寄る。ようやく顔を上げた仁王 に悪戯めいた目でやけに楽しそうに見返されてしまい、う、と息を詰めた。 「誰のボタン押したんかって訊いとんの」 少し上目遣いに投げられた視線に、鼓動が跳ねる。 宍戸の動揺を目敏く見抜いた仁王の笑みが深まった。 今度のこの笑みには嘘はないように思えたが、逆に全てが嘘なのかもしれないとも思った。 からかわれているのだということもわざと言葉を遮って何かを誤魔化したのだということも当 然わかっていた。 わかっているのに、不思議と腹は立たなかった。 本来なら快く思わないはずのそれらの言動の、奥深くに隠された繊細で弱い塊のようなものの 存在を、自分は知っている。 その小さな塊こそが、こうして仁王と自分とを繋ぎ止めているのではないかと宍戸は思う。 惹かれて目が離せなくなる。 触れようとすると素早く隠されてしまう、その小さな塊に。 「俺としては不二の姉ちゃんあたりがあやしいと思うとるんじゃけど?」 両手をポケットに入れて体を折り曲げ、覗き込むようにして仁王がニヤニヤと笑った。 「知らねーよ」 「ほぅら、アヤシイ」 完全に楽しんでいる顔をしている目の前の彼を睨む。 それを見返した仁王の瞳に、ふ、と優しい色が浮かんだ。 「まあとにかくあんまし人の言うこと、簡単に信じなさんな」 静かな、柔らかな声だった。 彼は騙したのではなく、試したのかもしれない。ふいにそう思った。 どんな結果を望んでいたのかは、わからなかったが。 「おまえこそそうやって人を騙すのやめろっつんだよ」 やはり上手い言葉を見つけることができないままに言い返すと、純粋に楽しんでいるものとも 自嘲ともとれる小さな笑い声が返された。肯定でも、否定でもなく。 どうしたら彼の胸の奥に触れることができるのだろうか。 仁王と向き合っている時にいつも感じる焦燥がまた、体の内側を撫でた。 お、と小さく呟いて仁王が腕の時計へと目を遣る。 それはごく自然な仕草で、かえってあらかじめ用意されていた行為なのだと思った。 「そろそろ行きんしゃい」 何でもないような穏やかな声で言いながら、仁王がゆっくりと壁から体を起こす。 再びこちらへ向けられた視線にはまた薄い笑みが浮かべられていて、先程時計を見ようと俯い た時にどんな表情をしたのか伺うことはできなかった。 「別に時間なんて、」 「いや、もう行きんしゃい。あのおっきい忠犬君、おまえのこと探しとるんじゃないん?」 誰のことを言っているかなど訊くまでもない。あの自分を深く慕ってくれている下級生が探し 回っているであろうことくらい、宍戸にもわかっていた。 「ゲーム中もおまえのことずいぶん心配しとったじゃろ。早く行ってやんな」 「だからあいつとはそんなんじゃ、」 「ええからええから。俺、鳳のこと結構好いとるんよ」 仁王が彼のことを口にする度に何故か傷ついたような気分になるのは、仁王がそれらを本心か ら言っているのがわかるからだった。 仁王は鳳の存在を、気にしていない。 宍戸に好意を寄せている彼が側に寄ることに、何の抵抗も感じていないのだ。むしろ、歓迎し ているようにさえ思う。 こんなことで、傷ついた気分になるなんて。 「ほんじゃ、俺ももう行くわ」 立ち去ろうとしない宍戸に諦めたのか、仁王が壁際から離れて軽く手を振った。そのまま迷い の無い足取りで宍戸の横を進む。 風になびいた銀色の後ろ髪が肩先を通り過ぎようとした、瞬間。 その手を、掴んでいた。 「…なん?」 振り返り微かに息を呑んだ仁王の声が、無防備に掠れた。全く予想していなかった行為に見張 られた瞳が不安定に揺れ、慎重に隠されていた幼さが顔を出す。 灼けつくように胸に込み上げてきた熱のままに、掴んだ手首ごと仁王の躯を強引に引き寄せた。 指先で顎を捕え、唇を寄せる。 「…っ」 触れ合う寸前に、音も無く割り込んできた指が宍戸の唇をそっと押し止めた。 唇に落とされた仁王の指先の冷やりとした感触が胸に染み込み、宍戸の動きを封じる。 口付けをやんわりと拒まれたことを頭で理解するのよりも早く、仁王の指が離れていった。 細い指先の冷たい感触だけが、唇の上に淡い痛みのように残された。 「──おまえはそういうことせんでええんよ」 無言のまま視線を向けて理由を問うと、仁王は囁くようにそう呟いてひっそりと微笑った。 諦めとも自嘲ともとれるような、静かな微笑みだった。 すっと笑みを引っ込めた仁王が眩しそうに微かに目を細め、宍戸を見つめる。 宍戸が名を呼ぼうとしたのよりも先に、彼は素早く身を乗り出して掠めるようにキスをした。 冷たさが残っていた唇に淡い熱が触れ、すぐに離れる。 視線が合わさる距離まで躯を離した仁王が、もう一度ひっそりと微笑った。 「…じゃあ、また」 腕の中からすり抜けるようにして身を翻した彼が今度こそ立ち去ろうとして向けた背中を見た 時、宍戸は彼の行動の理由を唐突に悟った。 簡単に騙された宍戸に傷ついた顔をしたことも。いつも自分からはこちらの都合などお構いな しに口付けてくるくせに、宍戸からの口付けは拒むことも。全て。 「仁王、」 背中に呼び掛けるのと同時にもう一度手首をしっかりと掴んで引き寄せ、拒む隙を与えずにそ のまま唇を塞ぐ。視界の端に、驚きに見張られた彼の瞳が過った。 胸を押し返そうとしてきた手も捕え、深く口付ける。 とめどなく溢れてくる熱情ごと、息を奪うように。 「…ふ…ぅ…」 吐息の混じった微かな声が仁王の唇から零れ落ちる。 いつの間にか抵抗の力を失った彼の手が、縋るように宍戸のジャージを掴んでいた。 「仁王」 少しだけ躯を離し、息を乱したままゆるゆると向けられた仁王の視線を絡め取る。真直ぐに見 つめたまま、静かに唇を開いた。 「別に俺はおまえに騙されて付き合ってるわけじゃないぜ?」 目の前の瞳がゆっくりと見張られ、静止した。 彼の胸の奥深くに隠されていた塊に、触れた。そう思った。 幾重にも慎重に隠された、その小さな塊に。 瞬きを忘れてしまった彼を見つめながら、そっと躯を離す。 体温が遠ざかり、ようやく仁王が我に返ったようにびくりと顔を上げた。何かを言おうとして 唇を動かし、そのまままたすぐに閉じる。彼はどこかまだ茫然とした表情のまますっと視線を逸 らし、宍戸に背を向けた。 いつもよりもややぎこちなさの残るその後ろ姿に、声を投げる。 「帰り、待ってろよ。先帰ったりすんなよな」 歩き出していた足を緩めはしたが、仁王は振り返らなかった。 「今度は言ったからな」 鮮やかな色のジャージに包まれた薄い背中に、念を押す。 素っ気なく告げたつもりが思いのほか柔らかな声となり、微かに体温が上がる。 「…考えとく」 ぼそり、とそれだけ呟くと、やはり振り返らぬまま仁王は離れていった。 歩き去っていく彼の、耳の後ろが微かに赤く染まっていた。 だがそれもまたすぐに、澄んだ青空の下の喧騒の中へと紛れて見えなくなっていく。 銀色の髪が人波に完全に消えるのを見届けてから深く息を吸い込むと、胸の中に空の青さが沁 み入るようにじわりと広がるのを感じた。 思い出して時計を見ると、今日の終わりまでにはまだ随分と時間が残されていた。 あの仄白い目蓋に暮れゆく淡い茜色の陽を浴びながら、つまらなそうに待っている彼の姿を思 い浮かべてみる。 体温がまた少し、緩やかに上がった。 らしくないと軽く舌打った音までがどこか柔らかく響き、宍戸は無造作に髪を掻きあげながら 壁にもたれてそっと瞳を伏せた。 fin. ------------------------------------------------ 二人が皆にはナイショで付き合ってたりしたら可愛いと思う(ブン太と 跡部あとなぜかジローちゃんあたりは気づいてる)。 ……ありえない。 ちなみに映画ではこんな場面がありました↓(ネタバレ反転)。 フィーリングカップル(?)みたいな企画の参加者に宍戸がいて、「なん で宍戸さんが…!?」と動揺丸出しの長太郎に宍戸曰く「仁王に騙されたん だよ!」。 これだけでこんだけ妄想できる自分のキモさに敬服します(金田調で)。 土下座。 (20050203) |
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