| 夜の片隅 首を巡らせて時計を見ると、針は十一時をとうに回っていた。 はっきりとした時間を決めていたわけではなかったが、予定通り神社へ行くのなら既に家を出 ている時刻であることだけは確かだった。 連絡が無いのをわかっていながらも、ベッドに横になったまま携帯を持ち上げてもう一度だけ 確認してみる。 やはり何の変化もないそれを、仁王はポイと枕元へと放った。 溜息を零す代わりに頭の下に腕を敷いて、ごろりと寝返りをうつ。 ブン太とはもう、かれこれ丸五日ほど顔を合わせていない。 それどころか電話で話すことはもちろん、メールのやり取りさえ交わしていなかった。 些細なことがきっかけで起きた喧嘩は思いのほか尾を引いて、素直に謝れないまま今日まで至っ ていた。もう既に何に対して腹を立てていたのかもろくに思い出せないほどどうでもいい内容の 喧嘩だったのだが、売り言葉に買い言葉でこじれた結果、すっかり謝るタイミングを逸してしまっ ていた。 今となってはもう、怒っているというよりむしろ、困惑に近い。 出かける支度はしたものの、胸を塞ぐ重たい感情にさっきからベッドでごろごろしたまま起き 上がれずにいた。 閉じた目蓋の裏にブン太の顔が浮かんで、胸の奥がしくりと軋む。 「…忘れとるじゃろうな」 否、忘れてしまっているのならまだ救いがあった。 一緒に初詣でに行こうと約束したのは二人が喧嘩したのよりももう随分と前のことであるし、 軽い口約束でしかなかったのでブン太が忘れてしまっている可能性は大いにある。だがそれより もここ数日間の険悪ムードからして憶えているのにあえて無視する確率の方が高いと言えて。 現に仁王も憶えているのに待ち合わせの誘いのメールさえ出さずにいる。 それでもしっかり外出の支度はしている自分に、細い溜息が漏れた。 このまま、ブン太の声も聞けぬまま年を越してしまうのだろうかと壁を眺めながらぼんやりと 思う。 胸を締め付け続けている痛みを誤魔化すように、仁王は緩く睫毛を伏せたままもう何度目かの 寝返りをうった。 コツン。 「…?」 耳を掠めた小さな音に、ゆっくりと躰を起こして部屋を見渡した。 気のせいだろうかと首を捻り、再び横になろうとしたらコツン、とやはり小さな音が聞こえて 窓際へと歩み寄る。二階にあるこの部屋の窓から聞こえてきたらしいその音に、訝しく思いなが らカーテンに手をかけた。 半分ほど開けたちょうどその時、目の前の硝子にコツンと小さな石が当たって庭へと落ちてい くのが視界に映った。 「……」 窓を開けて外を眺めると、街灯に照らされた眼下の道路に赤い髪を見つけて心臓が跳ねる。 カーテンにかけられていた指が、無意識にぎゅっと布地を握り締めた。 手の上で小石を投げては取る動作をしながら見上げてくるブン太の表情にはいつものような笑 顔はなかったが、それでも仁王の胸には安堵にも似た熱がじわりと滲んで。 手振りで下へ降りてくるよう示されて、急いで窓を閉めると上着を掴んで部屋を出た。長い距 離を走った後のような早さで脈打つ心臓の音が、耳の奥で煩く鳴り響く。 なるべく音を立てないように階段を駆け降り玄関を出て、白い息を吐きながら門扉をくぐった。 鮮やかな赤が、視界に映る。 外灯の明かりに霞んだ寒空の下、壁にもたれていたブン太が少し驚いたように仁王を見た。 「…なんだ、用意できてんじゃん」 彼の口からボソリと零された独り言のような呟きが、夜の空気に静かに響いた。 澄んだ空気。 久しぶりの、ブン太の声。 「寝てたのかと思った」 眉根を寄せてどこか不貞腐れているようなその表情の、隠しきれない温かな緩みが仁王の心を 優しく触ってことりと鼓動が音を立てた。 「あいにく夜型なんじゃ」 くすぐったいような、悔しいような、言葉にできない想いが胸の内側の襞をさわさわと揺らし て、無愛想な声しか出てこない。 見透かしたように、ブン太が小さく笑った。 「いいから早く着ろって。寒がりのくせに」 仁王の腕に抱えられたままだった上着を一度奪うようにして手に取ってからぎゅうと押し付け 返し、自分まで寒そうに肩をすぼめる。言われてみると急に寒気が肌に刺さって、仁王はもそも そと袖を通した。 ブン太のスニーカーの靴先が、彼の足元に転がっている小石の群れを散らす。 「おまえどんだけ投げるつもりだったんじゃ」 道すがら拾い集めてきたらしいその量に呆れて眺めると、 「おまえが出てくるまで」 当然のように真顔で返されて、不覚にも頬が熱くなった。 ちらりと満足気な笑みを浮かべたブン太が、手の平をジーンズでごしごしと無造作に拭いた。 込み上げてきた熱のようなものが夜空に逃げるのを防ぐようにぐるぐるとマフラーを巻くと、 何故かブン太の口から安堵にも似た微かな溜息が零された。 「のう、ブン太」 歩き出した背中に名を呼ぶ。 「あー?」 「わたあめ、買って」 振り返った大きな瞳が、ゆっくりと瞬いて。 「…おう。仕方ねーから買ってやるよ」 鮮やかな笑みが街灯の下で夜気を弾いた。 とくり、と心臓が鳴る。 久しぶりのブン太のその笑顔に、どこか泣きたくなって仁王は困った。 「プリキュアのやつな」 ニヤリと笑ってそう続けた彼に、呆れた顔を作って見せる。 上手く作れていた自信は、悔しいくらい、ない。 「俺、離れたとこで待っとるから。よろしくな」 すすす、と躰を離して遠ざかってやると、 「あ、なんだよおまえそれ!」 「!」 すぐに距離を縮めたブン太が仁王の左手を捕らえて、そのまま自分のコートのポケットへと押 し込んでしまった。 狭いポケットの中で、絡められた指が温かい。 「これなら逃げらんねーだろ?」 仁王の冷えた手を握り締めたまま、フフン、と勝ち誇ったようにブン太が唇の端を上げた。 まさかこのままで神社へ行くつもりなのだろうか。 ポケットの手はそのままに再び歩き出したブン太に歩調を合わせながら、些か不安になり訊ね てみようかと思いすぐに止めた。 絡められた指は緩められる気配すら、無くて。 そういえばこういう男だった、と呆れながら思い出したはずが、何故か頬に熱が滲んだ。 「──注文すんの、ブン太じゃからな」 「おう、まかせろい」 視線を逸らしたままボソリと呟くと、見なくても彼が鮮やかに笑ったのがわかった。 fin. ---------------------------------------------- 謝らない仲直り。ブンニオ編。(20070201) |
|||||
| >> back |
|||||