浸透する熱と熱





  ふと眉を顰めると、和谷は掴んだ碁石を一度碁笥に戻した。
  首を巡らせて部屋の隅に取り付けられているエアコンを見上げる。
 「どうした?」
  碁盤をはさんで座っている伊角がエアコンと和谷の顔を交互に見遣った。
 「ん…なんかちょっと寒くねぇ?」
 「え?」
 「…そんなわけないよな」
  そう言いつつも、和谷はそっと自分の腕をさすった。
  もともと和谷が入居する前から備え付けられていた一見して年代を感じさせるこのエアコンは、
 見た目通りの働きしかしていなかった。今も不穏な音と共に冷たいと言えなくもないという程度
 のやたら弱々しい冷気を送り出していた。
  気まぐれすぎる温度調節機能はちょっとでも温度を下げれば鳥肌になり、ちょっとでも上げる
 とエアコンの役割をはたさなくなる。
  試行錯誤の末に見つけだしたこの温度は少しでも動くとじわりと汗がにじむようなものだった
 が、電気代等との折り合いから見てもこの家では「適温」であると言えた。
  暑がりの和谷には少々不満ではあったが、それでもこの連日の猛暑の中、扇風機が運んでくる
 熱風だけで過ごすことを思えば有り難いというものだった。
 「寒いのか?」
  いつも暑い暑いとうるさい和谷が腕をさすっているのを見て、伊角が不思議そうに訊ねてきた。
 「うん…ちょっと。あれ、でも汗かいてる」
  首元に手をやると、肌がうっすらと湿り気を帯びている。
  それをじっと見つめていた伊角が、突然ガバッと碁盤の上に身を乗り出したかと思うと、和谷
 の肩に手を置いた。
  その拍子に滑り落ちた碁石がパタパタと畳に軽い音をたてる。
 「うわっ、な、何?」
  急に間近に寄せられた伊角の顔に、和谷の心臓が跳ね上がった。
  畳に後ろ手に付いた腕を突っ張らせたまま目の前で揺れる漆黒の髪を凝視する。
  肩に置かれていた手が離れ、するりと和谷の前髪を攫った。
  こつん。
  額に冷やりとした感触を感じると同時に、触れることができそうなほど近くにある薄紅色の唇
 が動いた。
 「…やっぱり。熱あるぞ、和谷」
  すっと額に押し当てられていたものが離れていき、上げられていた前髪がその跡を覆った。
  目の前の白い額の上にもパラパラと漆黒の髪が落とされていく。
  心臓の脈打つ音に包まれながらそれを呆然と眺めているうちに、伊角の躯は碁盤の向う側に戻っ
 ていった。
  思わず引き戻そうとして宙に浮いた手を、そのまま自分の胸の上に当てる。
  躯の内側と呼応するように、手の平からも速まった波の動きを感じた。
 「…言われてみれば風邪ひいたかもしれない」
 「かも、じゃなくて絶対風邪だよ」
  実際はうるさい鼓動を誤魔化そうとしてそう告げたのだが、こちらに背を向けて戸棚の中を探っ
 ている伊角からは焦りを含んだ声が返ってきた。
 「確かこの辺に薬が…あったあった」
  慌ただしく物入れを掻き回していた伊角が水を満たしたコップを片手にバタバタと戻ってくる
 と、和谷のすぐ横に膝をつく。
 「薬、さっきパン食べたから大丈夫だよな?」
  ひどく真剣な顔で覗き込まれ、言葉が脳に達するのよりも前に頷いてしまう。
 「ほら」
  手渡された白い錠剤を素直に水で流し込んだ。
  喉を滑り落ちていく冷たい流れに、思いのほか喉が乾いていたことを知る。
  ふとコップを傾けたまま視線だけずらして見ると、心配そうにじっと見守っている伊角の視線
 とぶつかって何やら気恥ずかしくなった。
 「そんなに心配しなくても大丈夫だよ、伊角さん。たいしたことないって」
 「でもけっこう熱あるぞ、ほら」
  再び額をつけられ、和谷は手から滑り落ちそうになったコップを慌てて持ち直した。
  カッと頬に熱が集まる。
  再び心臓が不穏な動きを始め、実際に熱があるせいか頭がクラクラとした。
 「ちょ、ちょっと伊角さん、タンマ」
  さすがに今、これ以上別の熱を煽られたらキツイ。
  引き寄せたい衝動を何とか押さえると、空いている方の手で伊角の肩を押しやった。
  ようやく額は離されたが、それでもまだ顔を上げるのを躊躇ってしまう距離だ。
  伊角の手が労るように和谷の腕をそっと撫でる。
 「和谷、大丈夫か?」
  和谷が躯を離したのを気分が悪くなったせいだと勘違いしたのだろう。
  心配そうに眉を顰め、下から覗き込むようにして見つめてくる。
  ──まいったな…。
  そんな目で見つめられたら無い熱だって上がるというものである。
  取りあえずこのままではまずいと別の危機感を抱いた和谷は、
 「そんなに近づいたらうつるって、伊角さん」
  もっともらしい理由を述べつつ、腕に置かれた伊角の手をそっと外して後ろに下がった。
  そもそも普段めったに病気にならない和谷に比べたら、伊角が寝込むことの方が遥かに多い。
 だからその言葉も全くのデタラメというわけではなかった。もしもうつりでもしたら伊角の方が
 重症になるに違い無い。和谷よりもよっぽど病気への抵抗力が弱いのだ。
  それなのに自分のことに関してはいたって無頓着で、心配する和谷に笑いながらひらひらと手
 を振るのである。いつも和谷のことを「大ゲサ」だとか「心配しすぎ」だなどと言っては取り合
 わず、結局無理がたたって倒れたりするのだ。三つも年上のこの人は。
 「大丈夫だよ。今、布団敷いてやるからちょっと待ってろ」
 「え、こんな昼間っから眠れないよ」
 「眠れるって。おまえ病人なんだぞ? 寝なくちゃ駄目だ」
  有無を言わせぬ口調に和谷はう、と言葉を詰まらせる。
  反論しても無駄なことは経験上わかっていた。穏やかな見た目に似合わずこうなると伊角は結
 構ガンコなのだ。
  そうとは云えせっかく二人でいるのに眠ってしまうのはもったいない。
  次第に風邪への自覚症状も深まりつつあったが、それでも何とか起きている時間を引き延ばそ
 うと、和谷は鈍い痛みを発している頭を巡らせた。
 「あのさ、伊角さん。ちゃんとおとなしく寝るからさ、その前にこの続きだけ打っちゃおうぜ」
  畳に落ちていた碁石を拾い上げて元の位置に戻しながらねだるように見上げると、
 「駄目」
  伊角が短く言い捨てた。
  そしてそのまま並んでいた碁石を無造作に掻き集めた。
 「後で片付けるから置いておいて」
  白黒混ざりあった小山を指差し、布団が積んである方へと向かう。
  ちぇ、と残った碁石を手の中で転がしながら碁盤を眺めていた和谷は、ふと動きを止めて伊角
 を振り返った。
  布団に手をかけている白い横顔と、手元の碁盤を交互に見つめる。
  ふいにじわりと沸き上がってきた想いに、口元が綻んだ。
  伊角の手によってあっさりと消されてしまった、途中で放置されていた石の並び。
  一見、互角の攻め合いのようで、実際は周到に置かれた伊角の白石がじわじわと威力を発揮し
 ようとしているところだった。それに応戦している和谷の黒石も中々に健闘してはいたが。
  そう、これからだったのである。
  和谷とて似たり寄ったりではあるが、伊角の碁に対する熱心さは相当に深いものだ。呼び掛け
 ても聞こえていないことなどザラだったし、何よりもまず碁が優先という姿勢を崩さない。
  それなのにこれからがおもしろいというこの対局を、伊角はまるで片付け途中の意味のない並
 びであるかのように、一瞬の執着すら見せずに崩し去ってしまった。
  ついさっきまでほとんど自覚すらしていなかったような、この熱のために。
 「ほら、敷いたぞ。早く寝ろ」
  せかすように枕をポンポンと叩く姿が何だか可愛らしくて、ますます胸の奥をくすぐった。
  気がつけば頭は鈍い痛みを発しているし、躯も鉛のように重い。
  それなのに。
  ふらふらとしながら伊角の元へ這っていくと、怪訝そうな瞳にぶつかった。
 「…なに笑ってんの、おまえ」
 「へへ、だってさぁ…俺、勝ったんだなぁって思って」
  固まっていた羽毛が暖かな空気を孕んで一斉に膨らんでいくような、そんな幸福感が重たい躯
 の内側から沸き上がってくる。
 「勝った? 何に?」
  枕元に膝をついてぽかんと和谷を見ている伊角の元ににじり寄る。
 「いーの、いーの。──伊角さん、大好きっ」
 「うわっ」
  ふわりと抱きついたつもりだったのだが思った以上に躯は言う事をきかなくなっていたようで、
 ほとんど突っ込んだかのような形になった。和谷を受け止めきれずによろけた伊角の後頭部が壁
 に派手な音をたてる。
 「イッ…!」
  和谷を胸の上に乗せたまま、伊角が後頭部を両手で押さえて俯いた。恨みがましい唸り声がそ
 の口から漏れてきて、和谷は大いに慌てた。
 「ご、ごめん伊角さん。大丈夫? 何かすげぇ音したけど」
  俯く伊角の顔をオロオロと覗き込むと、
 「…和谷。おまえ、俺を殺す気か?」
  痛みで涙目になりながら、伊角が口を尖らせた。
 「わー! ごめんって伊角さんっ」
  後頭部に貼り付いている伊角の手に、振動を与えないよう注意しながらそっと自分の手を重ね
 る。
  触れた瞬間、急にパッと伊角が顔を上げたかと思うと和谷の手首を掴んで後頭部から引き剥が
 した。
  その突然の動きに、打ったところの傷を刺激してしまったのかと思い慌てて謝ろうとした和谷
 は、口を開きかけたまま固まった。
  手の平に、冷んやりとした感触。
  押し当てられた伊角の柔らかな頬と、火照った手の平との境目がゆるゆると溶けていくような
 気がした。
 「やっぱり! 熱、また上がったんじゃないか!?」
  伊角は和谷の手を自分の頬に押し付けたまま、空いている方の手で和谷の額やら頬やら首元や
 らを忙しなくペタペタと探っていく。
  まるで放っておいたら10分後には和谷が死んでしまうとでも思っているのではないかと疑いた
 くなるような焦りを浮かべた白い顔を、和谷は口を半分空けたまま凝視していた。
  心臓が早鐘を打つ音が耳の奥でうるさく鳴り響く。
 「ほら早く! もう寝……和谷!?」
  目の前の細い首に腕を絡ませ、ぎゅっと抱きついた。
  伊角のくせの無い髪がサラサラと火照った頬を撫でる。
 「このまま寝る」
 「…え?」
 「だから、このまま。じゃなかったら寝ない」
  伊角の首元に顔を埋めながら答える。密着した躯から心臓の音が伝わってしまうに違い無かっ
 たが、もう何でもいいや、と思ってしまった。
  離れたくない。ただそれだけだ。
  風邪とそしてこの腕の中の人物から与えられた熱がすっかり蔓延し、声を出すのも億劫になっ
 ていた。頭の芯がグラグラとして、自然と目蓋が落ちる。
 「……」
  少しの沈黙の後、すぐ側で小さなため息が流れた。
 「仕方のないヤツだな」
  頭を静かに撫でられた後、そのままそっと背中に腕が回された。
  躯を少しずらして、和谷を抱えたまま壁にゆっくりともたれ掛かったようだった。
  いつもは子供扱いされると嫌なのに、こうして小さな子をあやすように背中を撫でられるのが
 今はとても心地よかった。
  伊角の動作のひとつひとつがくすぐったいほど優しい。
  普段は照れが入るのかわざとぞんざいな態度を取ったりもするのに、今は密着した躯から伝わっ
 てくる全てが柔らかく和谷を満たした。
  感じるのは胸の奥に潜んだ緩やかな熱。
  浸透する想い。
  言葉よりも能弁に。
 「寒くないか?」
  引っぱり寄せた肌掛けが背中に掛けられた。
  その小さく問いかける声すら甘いように感じて、頷いた和谷の口元に笑みが浮かんだ。





  +  +  +





  ぼんやりと意識の戻ってきた和谷の耳に、静かな呼吸音が滑りこんできた。
  自分がもたれかかっている暖かな物の正体が伊角であることを思い出して目蓋を押し上げる。
  汗ばんだ首元に貼り付いた漆黒の髪が視界に映った。
  さすがにまだ躯はだるかったが、鉛のような重さは無くなっていた。普段ほとんど薬を飲まな
 いせいか短時間にしてはよく効いたようだった。
  頬を乗せている伊角の肩から、布越しに緩やかな体温が伝わってきて心地よい。
  密着した躯は互いの熱が交ざり合い、汗を含んだTシャツが躯に貼り付く感触があったが不思
 議と不快感はなかった。
  そっと頭を持ち上げる。
  暖かな体温に包まれながら目を閉じた時にはまだ窓の外には抜けるような青空が広がっていた
 のに、今はもう茜色を帯びた空気が部屋のそこかしこに色濃い影を落としていた。
  ──伊角さんも一緒に寝ちゃったんだな。
  すぐ目の前にある静かな寝顔を眺めた。
  ──睫毛長ぇなぁ…。
  少し首を傾けるようにして後ろの壁にもたれた伊角の白い額に漆黒の髪が貼り付いている。
  ただでさえ涼しいとは言いがたい部屋で発熱している和谷の躯を抱きかかえ、その上肌掛けま
 で掛けているのだから相当暑かったに違いない。
  それでもしっかりと和谷の背中に回されたままになっている腕の重みが、和谷の胸の奥を甘や
 かに撫でた。
 「伊角さん…」
  唇だけで呟き、起こさないよう注意しながら貼り付いた前髪を指でそっとどかした。
  露になった目蓋の白さに小さく息を飲む。
 「…ん…」
  身じろいだ伊角の喉の奥から微かな声が漏れた。
  だが目を覚ます気配は無く、規則正しい寝息が茜色に染まった部屋に流れていく。
  和谷は無防備にさらされたその寝顔に見入っていた。
  触れ合っているところから浸透してくる熱に深い安心を覚えるのと同時に、確実に別の種類の
 熱も上がってきて和谷は戸惑った。
  目の前の伊角は、暑さのせいか頬を薄らと紅潮させ、眉を微かに寄せてぐったりと壁に頭を預
 けている。
  汗ばんだ額や何かを静かに耐えているようなその表情に、ふとアノ時の表情が重なって和谷の
 心臓が大きく跳ね上がった。
  ちょうど終わった後の、半ば放心したように横たわる伊角の姿が脳裏をかすめる。
 「…あーもう…」
  ちょっと具合が良くなったと思ったらすぐこれだ。
  うるさいほど鳴り響く鼓動をもてあましながら、和谷は自分の浅ましさに思わずため息をもら
 した。
  Tシャツ越しに伝わってくる体温が一層熱を駆り立てる。
 「でも…伊角さんだって悪いんだぜ?」
  ──そうやっていつでも俺のこと煽ってるってわかってる?
  躯の芯を蕩かしていく熱の言い訳は、それでも和谷にとっては切実な想いでもあった。
  和谷は耳元で脈打つ鼓動を振り切るように首を伸ばすと、誘うように僅かに開かれている薄紅
 色の唇に口づけた。
  柔らかな感触を味わうように下唇を甘噛みしてから離れる。
  伊角は吐息のような声を微かに漏らしたが、その白い目蓋はまだ閉じられたままだった。
 「──起きないんだったら知らないぜ? 伊角さん」
  和谷の手が伊角のTシャツの裾から滑り込み、そのまま捲り上げた。
  ずるずると躯をずらし、露になった肌に唇を落とす。
  和谷の背中を覆うように掛けられていた肌掛けがするりと畳へと落ちた。
 「…ん…和谷…?」
  肌が外気にさらされたせいか、伊角が目を覚ましたようだった。
  まだ意識がはっきりしていないようで、存在を確かめるように和谷の背中をその手が探り、そ
 のまま抱き寄せようとする。
  伊角の思わぬ無意識の動きに、和谷の口元が緩んだ。
  ──ちゃんとここにいるよ。
  声に出して応える代わりに、目の前の小さな突起に唇を寄せて舌で転がすように嘗め上げる。
  びくりと一瞬躯が跳ねた後、伊角の手がガシッと和谷の頭を押さえた。
 「な、な、何やってんだよ和谷!?」
  和谷は一度唇を離すと、寝起きで掠れた声を裏返している伊角を上目遣いに見遣った。
 「なにって見ての通りだけど?」
  空とぼけて笑ってみせると、和谷の頭をはたこうとして伊角の手が上がった。
  だが、それはそのまま空を掴むように下へと降りていった。
  さすがに病人の頭に衝撃を加えるのはためらわれたらしい。
  手の代わりに呆れ返った声が落とされた。
 「おまえ具合はどうなんだよ」
 「あ、もう平気。まだちょっとだるいけど」
 「…治るの早すぎじゃないか?」
 「そこのところはホラ。愛のなせるワザってやつ?」
  へへ、と笑って見上げると、伊角が瞬きをゆっくりと繰り返した。
  寄せられていた細い眉が、一層深い溝をつくった。
 「熱で頭までどうかしちゃったんじゃないの、おまえ」
 「……」
  怪訝そうに覗き込まれ、和谷の口の端が上がる。
 「ふーん、そういうこと言うわけね。だったら…」
 「…!」
  和谷は素早く伊角の躯に腕を回すと、布団の上に押し倒した。
  伊角の口から抗議の声が上がる前に唇でふさぐ。
 「…ん…」
  顔の角度を変えながら口づけを深くしていくと、伊角から鼻にかかった声が漏れた。
  躯の芯で熱が渦巻く。
  唇を離したときには二人とも息が上がっていた。
  首筋に顔を埋めて舌を這わせながらジーンズのベルトに手をかけると、伊角が慌ててその手を
 押さえた。
  肩で息をしながら、赤い顔で睨んでくる。
 「和谷! おまえ病気なんだぞ!」
 「もう治ったって」
 「少し良くなっただけだろ!」
  往生際が悪いな、と独りごちながら薄い皮膚を強く吸った。
 「…っ…」
  阻止しようとしていた手の力が緩んだすきに、カチャカチャと器用にベルトを外す。
 「ちょっ…バカ! 和谷、やめ…風邪が…!」
 「だって苦しいんだもん」
 「だから寝てろって!」
 「違うよ、伊角さん」
  和谷が伊角の手を取って自分の胸に押し当てた。
 「苦しいのはこっち。風邪なんかよりもずっと」
  抵抗していた伊角の動きが一瞬止まる。
 「伊角さん」
  伊角の額にかかった乱れた髪を指で梳いた。
  薄らと朱の差している目元にそっと口づける。
 「伊角さんにしか治せないんだからさ──治してよ、伊角さん」
 「……」
 「ダメ?」
 「っておまえ、ヒトが返事する前に勝手に進めるなっ!」
  すでにベルトを抜き取りジーンズのボタンまで外し終えた和谷の手を伊角が必死に押さえなが
 ら喚いた。
 「あ、バレた?」
  えへ、と笑うと容赦なく睨まれる。
 「あー、伊角さん。その顔、逆効果」
  熱を煽るだけのその表情に、頭の中がクラリとする。
  病からくるのではない、心地よい目眩。
 「それにさ、せっかく伊角さんが布団敷いてくれたんだし」
 「目的が違うだろ、目的がっ! それに和…っ…ぁ…!」
  まだ何か続けようとしていた伊角が息を飲んで躯を固くした。
 「……っ…!」
  ジーンズの中に滑りこませた手をやんわりと動かすと、和谷の腕を掴む伊角の指に力が込めら
 れた。
 「後でちゃんと寝るから。…それにもしちょっとくらい風邪が悪化してもその時は面倒みてくれ
 るんでしょ、伊角さん?」
 「……」
 「ねぇ、伊角さん。そうだよな?」
  呼吸を乱し始めた伊角の耳元で甘えるように囁くと、伊角が反対側へ顔を逸らした。
  その上気した頬と熱で潤んだ瞳に、残り僅かな理性が飛んでしまいそうになる。
 「……だろ…」
  部屋の隅の方へ顔を向けながら、伊角が何かをぼそぼそと呟いた。
 「え、何? 何て言ったの、伊角さん?──ぶっ」
  顔を覗き込もうとした和谷の顔を、伊角の手が押し戻した。
  痛いよ伊角さん、と口を尖らせようとした和谷に、
 「だから! おまえみたいなバカ、面倒みてやるのなんか俺しかいないだろって言ったんだよバ
 カ!」
  完全に視線を逸らしたまま伊角が喚いた。
  一瞬ぽかんとした後、意味を悟った和谷の頬がみるみる緩む。
 「伊角さん、そんなにバカバカ言わないでよー」
 「バカにバカって言って何が悪い」
  口元から笑みが溢れてくるのを止められない。
  伊角の染まった頬に唇を落とすと、耳元で囁いた。
 「好きだよ、伊角さん」
 「…俺はおまえなんか嫌いだ」
  あは、と笑うと、和谷は今度は唇をふさいだ。





  + + + 





 「伊角さん、出来たよー」
  湯気の立ち上る椀を引き寄せたテーブルの上に置く。
  横になっていた伊角がけだるそうに布団の上に躯を起こした。
 「具合どう?」
 「悪いに決まってるだろ」
  掠れた声で応えながら、伊角がじろりと恨ましげに睨んでくる。
 「ごめんって、伊角さん。ほら、こうしてちゃんとお粥もつくってるだろ? レトルトだけど」
  一晩寝ただけですっかり元気になった和谷が、慌てて機嫌を取る。
  どう考えてもうつった伊角の方が重症だ。
 「はい、伊角さん。あーん」
  スプーンで掬ったお粥を差し出すと、微かに頬を赤らめた伊角が眉を顰めた。
 「これくらい自分で食う」
  スプーンを奪おうと伸ばしてきた手を、和谷がやんわりと制した。
 「だーめ。俺が看病するって決めたんだから」
 「食わせてくれなんて頼んでないだろ」
 「いいの。俺がやりたいの」
  再び「あーん」と言って差し出すと、観念したようにため息をついた伊角がおずおずと口を開
 いた。
  伏せられた睫毛が白い頬に落とす影を見つめながら、和谷がスプーンを運んだ。
  だが、緩やかに開かれた唇にそれが触れる直前に手が止まる。
 「…!」
  吸い寄せられるように唇を合わせた。
  もっと深く味わいたかったが抑えがきかなくなる前に離れる。
  目を白黒させている伊角に、頭を掻きながらヘラリと笑いかけた。
 「いや、だって伊角さん、目まで閉じるんだもん。誘ってんのかと思って」
 「──目を見開いてメシ食う奴がいるか!?」
 「つい、だよ。つい」
 「……もうおまえは俺の半径2m以内に近づくの禁止」
 「ええ!? それじゃ看病できないじゃん!」
  スプーンを奪われた上に問答無用とばかりにシッシッと手を振られ、和谷が情けない声を上げ
 る。
 「それにこの部屋じゃ居る場所無くなっちゃうんだけど…」
 「そっちの隅で棋譜でも並べてろ」
 「伊角さーん」
  部屋の隅に追いやられ、黙々とお粥を口に運んでいる伊角に向かって手を合わせる。
 「ねぇ、伊角さーん。そっちに行っちゃ駄目?」
 「ダメ」
 「頼むよ、この通り! いくら俺でも病気の伊角さんにアレコレしたりなんかしないからさぁ。
 ちゃんと我慢す──」
 「当たり前だろっ!」
  和谷の顔面に伊角が投げた枕がキレイに命中した。










fin.





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8000hitのご申告をされた方がいらっしゃらなかったので、
カウンタ8001を踏んで下さったmay様にリクをおねだりして
しまいましたv
『夏風邪ワヤスミ。看病ネタ』という萌え萌えなリクエストを
いただいたのですが…またもや半端なキモい話に(汗)。
和谷の部屋はやっぱ扇風機オンリーだろ!と思ったけど二人が
あんまり暑苦しいので(笑)クーラー登場。違和感ありますね。
今度こそカワイイ和谷を書くぞ〜と意気込んでいたのですが、
終わってみればやっぱり単にサ○ッてる男に…ごめん和谷(笑)
ああ、そしてmay様!お待たせした割にこんな胸焼けSSでご
めんなさい;こんな腐れワヤスミでよろしければ捧げさせて下
さいませ〜!
ありがとうございましたvv
(2002.08.26)