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群雄割拠。
コンビニで買ってきたジュースを冷蔵庫に入れ終えた和谷が振り返ると、部屋の隅で伊角がこ
ちらに背を向けて座っていた。
彼の目の前には、和谷が実家の納戸から引っぱりだしてきた小さな座卓と、その上に置かれた
使い古しのパソコン。
「何してんの?」
電源の入っていないパソコンを繁々と眺めている伊角の元ににじり寄った和谷が声をかける。
「んー…ネット碁っておもしろいのかなって思って」
「あ、そっか。伊角さんってパソコン全然ダメだもんな。やってみる?」
一家に一台のこの時代にまるで得体の知れない物を見るような目でパソコンを観察している伊
角がおかしくて、和谷はこっそりと笑みをもらした。
「じゃあまずそこのスイッチ押して」
「ここ?」
隣に座る和谷にちらちらと送られてくる頼りなげな視線に、胸の奥がくすぐったくなってくる。
勉強を教えてもらっていたいつもとはまったく逆の立場だ。
画面を眺めていた伊角が「おおー、これが立ち上げるってやつかー」と感心するのを聞いて、
たまらず笑い出した。
「伊角さん、この歳でそれはヤバイって」
「……別にパソコンできなくたって今から就職するわけじゃないし」
「そんなオッサンみたいなこと言ってんなよ」
くすくすと笑い続ける和谷を、伊角が恨めしそうに見遣った。
「携帯だって持ってみると結構イイもんだったろ?」
「…まあな」
時代の波に乗り遅れることに関しては第一級の伊角に携帯電話を持たせたのは他の誰でもない、
和谷である。
最近では携帯メールも送ってくれるようになり、和谷としては嬉しい限りだった。
電報と間違えているのではないかというような文章がまたおかしかったが、ヘソを曲げられる
と困るので黙っておくことにする。
「パソコンなんてオレがいくらでも教えるからさ。少しはおぼえた方がいいよ」
「んー」
「ほら、とりあえずネット碁やってみなよ。おもしろいぜ」
カチカチと手早くいつものサイトに接続しながらちらりと隣を伺うと、伊角が移っていく画面
をぽかんと見つめていた。
まるで子供のようなその表情に再び頬が緩む。
「あっ、そうだ伊角さん! せっかく一緒にいるんだから交互に打ってみるってのはどう?」
「交互?」
「そ。ネットだから相手にはバレないしさ。お互い相談は無しで、交互に打つの」
「あー結構おもしろそうかも」
「だろ? んじゃ、早速だけど名前どうする?」
和谷が画面にずらっと並んだ対局待ちの人の名前の列を指差し、仕組みを簡単に説明する。
ふんふんと頷いていた伊角が小首を傾げた。
「あれ、おまえはいつも何て名前使ってたんだっけ?」
「…………zelda」
「……」
「いいだろっ! 始めたとき中坊だったんだからっ!」
微妙に笑いをこらえたような伊角の表情に、和谷が頬を膨らませた。
「別に何も言ってないだろ。…で、どうする? おまえが何かテキトーに決めて」
「オレが決めんの?…うーん、そうだなぁ…」
首をひねっていた和谷が、何故か遠慮がちに口を開いた。
「えーと、さ。イマイチ思いつかないからその…イニシャルなんてどう?」
「イニシャル? ふたりの?」
今一つ話の飲み込めていない伊角がパチパチと瞬きをした。
そんな伊角を見て、和谷は頬を赤く染めながら一層小声でつぶやいた。
「だからその……S.Wは?」
「S.W? なにそれ」
「あーもうっ! わかってよ、伊角さんっ…………和谷慎一郎、で、S.W!」
「……」
「……」
「………………ブッ」
吹き出したかと思うと、伊角が腹を抱えて笑いだした。
「なんだよっ、そんなに笑わなくったっていいだろっ!!」
「あはっ…ごめんごめん。いや、だっておまえって結構ロマン…あはは」
真っ赤になって盛大にむくれる和谷の頭を、伊角が目尻を指で拭いながらポンポンと叩いた。
「伊角さんっ! オレは真剣にっ…!」
「あーごめんって。悪かった。いいよ、それで。それにしよ」
まだ微かに肩の震えている伊角を横目で睨みながら、和谷は音高くキーボードを叩いた。
食べ終わった弁当のカラをゴミ箱に捨てたアキラが振り返ると、ヒカルがちょうど最後の卵焼
きを口に放り込んだところだった。
「進藤、ちゃんと噛んでるのか?」
「あ? 噛んでるよ。おまえが食うの遅いだけだろ」
自分より大分後からこの控え室にやってきたはずのヒカルの弁当がすでに空になっているのを
見て、アキラが眉をひそめた。
「おまえさぁ、そんなにきっちりネクタイ締めたまんまで苦しくねーの?」
すでに襟元を緩めているヒカルが指差す。
今日は都内のとある会場での囲碁のイベントにふたりとも呼ばれて来ていた。ヒカルは着慣れ
ないスーツに息苦しさを感じていたが、アキラの顔はいとも涼しげである。
「おまえ午後は?」
「2時から第2会場で中級者向け講座での解説。キミは?」
「オレも2時から。また指導碁。2時までまだずいぶん時間あるな…って、何してんの塔矢?」
広いテーブルの端に置かれたノートパソコンを開きながらアキラが顔を上げる。
「さっき係の人に訊いたら自由に使っていいって言ってたから」
「何すんの? ネット碁?」
ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がったヒカルがアキラの隣の席に移動した。
「ひとりでずるいぞ」
「だって一台しかないじゃないか。碁盤もここには無いし。第一キミ、ネット碁できるのか?」
「え、あ、ああ。まあ。人がやってんの見てやり方くらいはわかってるぜ。…あっ、いい事思い
ついた! なぁなぁ、交互に打つってのはどう?」
「交互?」
「そ。お互い相談無しで。おもしろそうじゃねぇ?」
「…そうだな。進藤にしては悪くない思いつきだ」
「なんかムカつく言い方だな。ま、いいや。じゃあ名前決めようぜ」
意気揚々とパソコンに手を伸ばそうとしたヒカルを、アキラが阻んだ。
「その前に進藤、そのゴミを片付けたらどうだ。食べっぱなしじゃないか」
「えーいいじゃん、後で。それより名前!」
「よくない! どうしてキミはそうだらしがないんだ!」
「ああもう、ウルセーな! そんなに気になるならおまえが捨てればいいだろ!」
「なんでボクが!?」
そう言いつつも一向に席を立つ気配のないヒカルを見てアキラがしぶしぶゴミ箱へ向かう。
「だいたいキミのそういうところがヨセの甘さに…」
「だーもうウルセーッ!! 名前、勝手に決めるからな!!」
怒ったヒカルが乱暴にキーを叩く。
隣の席に戻ってきたアキラがため息をもらしつつ画面を覗き込んだ。
「まったく。で、名前は? …OKAP………オカッパ!? 何だこれは、進藤ッ!!」
形相の変わったアキラに、ヒカルがフンッと鼻を鳴らした。
「だっておまえの顔見てたらこれしか浮かばねーんだもん」
横で怒鳴り続けているアキラの声を耳をふさいでやり過ごす。
「いーじゃん、始めようぜ! おっ、早速対局の申し込みがきた」
ひとしきり怒鳴り終えたアキラが、肩で息をつきながらあきらめて画面に向き直った。
「…S.W? JPNだから日本か」
「単なるイニシャルじゃねぇの? センスねーな」
「……いったいキミのそのネーミングのどこにセンスがあるって言うんだ!?」
「とりあえずコイツでいいよな」
あっさりとアキラを無視して、ヒカルがそのまま指を動かした。
「あ、変な名前」
「どれ? OKA…オカッパァ?」
「…オカッパっていうとアイツ思い出さないか?」
顔を見合わせたふたりが一瞬沈黙する。
「……塔矢が自分でこんな名前付けると思う? 伊角さん」
「それもそうだな」
思わず想像してしまい、くすくすと笑い出す。
「どうせどっかのガキだろ。とりあえずコイツでいい?」
「ああ」
「よし、それじゃ…」
よっ、とおもむろに立ち上がった和谷が、伊角の背後に回った。
わけがわからずにきょとんとしている伊角を少し前に押しやり、後ろから抱き込むようにして
座る。
「和谷っ」
「いいからいいから。ほら前向いて」
伊角の手を取ってマウスの上にあてがい、その上を自分の手で覆った。
「こうしてこの矢印をここまで持ってきて…はい、左側を押してー」
背中にぴったりとくっついている和谷を振り返った伊角が何か言いたげに口を開いたが、その
まま前に向き直った。どうやら手慣れぬ動作の方に意識が集中しているようだった。
「おっ、オレらが黒番だぜ。伊角さんからドーゾ」
「ん。……和谷、もうやり方わかったから手、」
「ちぇっ」
和谷がしぶしぶと手を外すと、伊角がぎこちない動作でマウスを動かした。
画面の盤上に黒石が置かれる。程なく白石がポッと浮かんだ。
「はい、和谷の番」
「いいよそのままで」
マウスから手をどけようとするのを制して、さっきのように上から包み込む。
「じゃあオレはここー」
口元をすっかり緩めた和谷が、伊角の手ごとマウスを操った。
また一つ黒石が画面に置かれ、和谷は手を離すとそのまま伊角の躯に腕を回した。

illustration by HIBANA KUSAKA sama : Various fever
「なかなかやるじゃないかコイツ」
「ああ。もしかして…ボクらと同じプロじゃないのかな」
「でもS.Wなんて人いたっけ?」
だいぶ黒白に染められてきた画面を見ながらヒカルとアキラが首をかしげた。
「いずれにせよおもしろくなってきたじゃないか。油断は禁物だぞ、進藤。さっきもキミの甘い
一手にすかさずつけこまれたんだし」
「…なんかいちいちムカつくんだよな、おまえの言い方」
「真実を述べているまでだ」
「なんだって!?」
「いいから早く打て、進藤!」
「なんかさぁ、ちょっと変だよなコイツ」
「ああ。強いことは強いんだけどな」
うーん、と和谷と伊角が同時に唸った。
「一手一手はすげぇいいとこ突いてくるんだけど…」
「そうそう、何故か次の一手でそれが生かされてないっていうか」
「集中力が極端に不足してんじゃねぇの?」
「このままいけば勝てるな」
そうこうしているうちに、またひとつ白石が画面に現れた。
口元に手を当ててしばらく考えていた伊角がマウスを動かす。
「おっ、上手い! さすが伊角さん」
「これでさっきの和谷の一手が化けるだろ?」
「あーこの絶妙のコンビネーション! やっぱ愛し合っちゃってるもんなーオレら」
えへへ、と表情を崩した和谷が、後ろから抱きしめていた腕を強めて伊角の肩に頬をすり寄せ
た。
「あーなんかドキドキしてきちゃったなー。背中越しに聞こえねぇ?」
「…ほら、和谷! もうおまえの番だって。ここまできて負けるなよ」
「負けねーって。愛の勝利!」
伊角の肩に顎を乗せた和谷が次の一手を打った。
「見ろ、進藤! キミがちゃんとここをツイでおかないからまた地が減らされたじゃないか!」
「ああ? 何言ってんだよ塔矢! おまえがこんなとこに打ったせいでせっかくオレが打ったこ
の石が死んじゃったんだろ!?」
「こっちを固める方が先だ!」
「いや絶対こっちが後からキイてくんだって!」
「進藤、キミはわざとボクの手を無視しているんじゃないのか!?」
「それはこっちのセリフだ!!…あっ! また上手いとこに打ってきやがった!」
「防げよ、進藤!!」
「ウルセーな、言われなくてもわかってるよ!!」
「よっ、と。これでどうだ?」
「うん。いい手だな、和谷。そろそろヨセに入るな」
「そうだね。この分だとヘマしなけりゃ勝ちは確実だな」
言いながら、相変わらず後ろからぴったりとくっついている和谷が伊角の髪を指で梳いた。ふ
わりと仄かにシャンプーの香りがただよい、白いうなじがちらりと姿を見せる。
和谷の胸がドキリと鳴った。
実を云うと、つい走りだしそうになる鼓動を対局に意識を向けることでずっと何とか誤魔化し
ていたのだった。
画面を見るとちょうど新たな白石が置かれたところだった。
次の手を打とうと伊角がマウスを繰るのを肩ごしに見遣る。
──そろそろちょっとくらいいいよな?
和谷は目の前の白い首元へ、唇を落とした。
「あれ?」
「…何だこれは?」
怒鳴り合っていたヒカルとアキラが思わず顔を見合わせた。
「……悪手、だよな?」
「…ああ、かなりの」
突然の意外な一手にふたりは唸った。
「どうしたんだ急に?」
「何かウラでもあんのかな?」
「いや、どう見ても単なる悪手としか…まるで昔の進藤のような一手じゃないか」
「…ムカ」
狭い控え室では再び怒声の応酬が始まった。
「あ──!? 打ち間違えただろっ! おまえが変なことするから!!」
「変なこと、はないだろ伊角さん。──もうさぁ、オレそろそろ限界なんだけど」
和谷の左手が伊角の服の裾からするりと中に入り込んだ。
「和谷っ!」
慌てて侵入を防ごうとする手をかわして、肉付きの薄い胸の上を滑らす。
その一方で白石が置かれるのを見た和谷は空いている右手を伸ばして次の石を打った。
逃れようとする躯を後ろからしっかりと抱き込んで、器用に服のボタンを外しながら耳元へ声
を落とす。
「…次、伊角さんの番だよ」
「ちょ…和谷!…やめっ……打て、ないだ、ろ!」
すっかり熱を帯びた伊角の耳朶を軽く噛むと、腕の中の躯が小さく跳ねた。
「あ! また悪手!」
「…いったいどうしたんだ?」
「何か一手おきにオカシナ手を打ってくるようになったぜ?」
「それでもまだ逆転できないんだから…」
アキラがちらりと視線を投げる。
「何だよ! オレのせいだって言うのか!?」
「ボクは常に最良の一手を打ったんだ! それをキミが…」
「だからそれはこっちのセリフだって言ってんだろーがっ!!」
「──あっ!!」
「…へ? な、何だよどうかし……ああっ!?」
ふたりはそろってパソコンの画面を呆然と眺めた。
「と、投了だって!?」
「何故だ!? どう考えてもこちらが負けているというのに…」
「おい、塔矢! 何かメッセージ送ってみろよ」
「あ、ああ」
アキラの指がキーボードを軽やかに叩いた。
OKAPPA>ナゼ、トウリョウシタ?
………
………
S.W>ヤメルノムリ!
「は? なんだそれ…」
「さあ…」
ふたりはしばらく無言で画面を見つめていたが、ノロノロと立ち上がると午後の仕事へと向か
った。
fin.
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定番オチ(ギャー)。WJ第152局のカラー扉に脳をやられました。原作公認の2カップルに乾杯!伊角さんの服の裾はズボンに入っているのでそんなにすんなり手は入りません…なんてツッコミはナシで!(爆)
(2002.06.18) |
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こんなアホ小説に、Various fever の日下ヒバナ様が萌え萌えなイメージ絵を描いて下さいました…!!嗚呼この小説、この構図がやりたいが為に書いたようなものなんですよ!それをこのような素敵な絵にして下さるなんて(>_<)vv嬉しい〜vvニブチンな伊角さんとドキドキな和谷の表情がステキですvv萌え。ヒバナさん、ありがとうございました〜!!
(2003.03.20) |
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