日常幸福音





  二人で過ごす誕生日は、決して多いわけではないけれど初めてというわけではない。
  ましてや二人きりの夜なんて、数え上げたらきりがない。
 「じゃーん。ちゃんとホールだぜ?」
 「うわ、豪華だな」
  仕事の帰りに予約してあったケ−キ屋に寄って取ってきたバースデーケーキ。
  誕生日の必需品なのに、それを箱から出して見せるだけでやけに照れくさいような気分になる
 のは何故なのだろう。
 「ありがとう、和谷」
  走り気味だった鼓動は、こうして躯の一番深いところまで容易く侵入してくる微笑みを待ち構
 えていたに違いない。でもそんな予測なんて実際の衝撃に比べたら何でもないもので。
  だってほら。こんなにも響いている。
  苦しいほどに胸を打つ鼓動。頬に集まる熱。
  この微笑みにはどこまでも無抵抗だ。
 「ではではケーキ入刀といきますか」
 「ケーキ入刀?」
 「そ。はい、伊角さん。一緒に持って」
  あまりに声が弾んでいて、我ながら露骨だ。
  想いなんて躯のあちこちから溢れてしまっていて、隠そうとするだけ無駄なんだけれど。
 「この包丁、ものすごく色気ないけど?」
  それはそうだ。引越す際に持ってきた、実家で眠っていた貰いものの穴開き包丁に色気なんて
 求めてはいけない。
  でもどうせ知ってる。ちゃんと大事なところは伝わっている。
  だってほら、こんなにも溢れてるでしょ?
  二人で額を付き合わせるようにしてクスクスと笑い合う。
  溢れてくるキラキラとしたものが部屋中に零れて広がっていく。一人ではつくれない、微笑み
 によく似た空気。
 「いいから、ほら」
 「はいはい」
  手が、触れる。
 「では新郎…新郎によるケーキ入刀です」
 「何だよそれ」
  笑いながらも触れ合った手から伝わってくる体温が少しだけ上がったような気がした。
  勘違いなら得意だ。
  幸福な、勘違い。
  苺の紅が映える上品な白いクリームに、ひどく不似合いな刃先が入っていった。
  横目にチラリと新郎の顔を盗み見ると、同じように盗み見ようとしていた瞳にぶつかった。
  互いにすでに染まっている頬に気がついて、さらに朱を深くする。
  言い出しっぺのこっちまで赤くなってるなんて格好悪い話だ。
  いつだって格好なんて悪いのだけど。
  ジタバタせずにはいられない。他の誰かだったらこんなことはない。多分。
 「じゃあ指輪の交換といきますか」
  まだちゃんと切り分けてはいなかったが、持っていた包丁を早々に放棄した。
  胸の奥をくすぐられているようで、戯れるような笑みが止まらない。幸せは形のないものだと
 よく言うけれど、こんなにも確かな感覚を連れてくる。
 「指輪なんてあるのか?」
 「ないよ。だって伊角さんそういうの好きじゃないだろ?…うーん、これでいっか」
  代用品を求めて巡らせていた視線を止め、それをおもむろに手に取った。
 「いいかってそれ…」
 「はい、手え出して。もちろん左ね」
  訝し気な視線に、
 「大丈夫だよ。水性って書いてあるから」
 「…書くのか?」
  呆れたように。でも、やっぱり笑ってくれるのだ。
  悪戯をする子供の熱で。
  幸福な、音で。
  差し出された左手をそっと取り、マジックのキャップを歯で噛んで外す。
  薬指の付け根に沿ってペン先をゆっくりと滑らせた。
  白い肌にくっきりと引かれていく線の黒さが何だか艶かしい。
  無防備に委ねられた指は、単に線を這わせる行為を特別なものに変えてしまう。所有の印を刻
 んでいく高揚感。静かで、酷く熱い。
  線が一周し、薬指に即席の指輪が完成した。
  線の震えは心と直結している。
  ちょっと揺れ過ぎだろうか?
  馬鹿みたいに胸を叩く鼓動と、広がる熱に深く息を吸い込む。
 「…じゃ、俺も」
  そう言ってマジックに手を伸ばされ顔を上げると、目が合った途端に視線を逸らされた。
 「はい、どうぞ」
  マジックを手渡しながら、こっちまでつい視線を泳がせてしまう。
  互いの頬の赤さをみとめて更に熱が上がってしまった。
  おかしくて嬉しくてもどかしくて、やっぱり笑い出してしまう。
  もちろん、二人で。
 「あ」
 「ん? どうかした? 伊角さん」
 「…これ、耐水性って書いてあるぞ」
 「げ、マジ?」
  マジックと薬指の黒い輪を交互に眺めて、その後何とも言えない顔で見つめ合う。
 「和谷。俺明日の午後指導碁の仕事」
 「だ、大丈夫だって伊角さん。そんな恨めしそうな顔すんなって。落ちるよ、落ちる。ほら、確
 か流しの下に…」
 「まさかあのカメノコタワシのことを言ってるわけじゃないよな?」
  う、と言葉に詰まって恐る恐る見遣ると、愛しい人の目が据わっていた。
 「愛を感じるなー和谷。それはもうひしひしと」
 「や、やっぱ痛い…よね? あは」
 「……おまえもカメノコタワシの刑だ」
 「い、伊角さんっ! ごめんって!」
  左手を取られた上にマジックをかまえられてしまい、慌てて防御にまわる。
 「おまえの指にも書かないと交換にならないだろ?」
 「いやもう、俺の心の目には指輪がばっちり見えてるから!」
  薬指の死守よりも掴まれた手の感触に意識が集中してしまう自分はたぶんもうどう仕様もない。
 「うわ」
  クスクスと笑いながら揉み合ううちに、バランスを崩して倒れこんだ。
  マジックが畳や服に付かないようにと注意するあまり無防備になっていた顎を捕らえ、唇を重
 ねる。
  宙に浮いていた手からマジックを抜き取って机の上に転がすと、口付けを深くした。
 「……ん…」
  漏らされた声に躯内の熱が上がる。思考が、揺れる。
  唇を離した時には二人とも少しだけ息が上がっていた。
 「愛、感じちゃった?」
  ニヤリと笑ってみせると、目の前の赤い頬が更に真っ赤に染まった。
 「伊角さん、誕生日おめでとう」
  今日何度目かの言葉と共にもう一度、触れるだけの、キス。
 「……ありがと」
  ああ、その顔は反則だ。
  心臓を直接、ひどく暖かいもので触られたみたいだ。
  全てを蕩かす熱に、鼓動が跳ねる。
 「それから結婚おめでとう俺」
 「何だよそれ」
  ほとんど同時に吹き出して、そのまま再びクスクスと笑い合う。
  すでに部屋中がキラキラで満たされているのを二人で感じた。


  日常の延長でしかないのに、こんなにも特別で。
  単なる日常だって、やっぱり特別で。
  それを分かっている証拠に、どちらからともなく指を絡め合った。










  fin.





遅ればせながら伊角さんお誕生日企画に小説で参加させていただきましたv ちょっと変わった感じにしたいと思って書いたら何やらロマンチックさに欠けた、それでいて中々にキモい話になりました。何故でしょう(知りません)。そしてこれ、うわ絶対いらねぇ…と真顔で一人ツッコミ入れつつフリーSSとなっておりますので、よろしければご自由にお持ち帰り下さいませ☆
何はともあれ伊角さんお誕生日おめでとう!!(≧∇≦)vv

(2003.04.26)