サマーラプソディ





  よりによってこんな日に。
  涼やかな音を立てて流れ落ちる噴水を背にしてベンチに腰掛けたまま、和谷は行き交う人々を
 眺めてそっと溜息をもらした。
  夕方とはいえ外はまだ纏わりつくような熱気に満ちている。それを避けるように、このショッ
 ピングモールに足を運んだのだが。
  冷房の効いた屋内で、しかも目印となる噴水が設置されたこのホールは待ち合わせに使う人も
 多く、そこかしこに置かれたベンチはいつも大抵埋まっている。待ち合わせだけでなくただ単に
 休息や読書等を目的に来ている人々も少なくなかった。
  今日ももちろん例外ではなく席は満員で、偶然腰を上げたカップルと入れ違いに二人並んで座
 れたのは幸運だったと言えないこともない。
  こんな状態でなければ、だったが。
  程よく効いている冷房が不快な熱気を取り除いてくれていたが、和谷の頭からはなかなか熱が
 引いてくれなかった。
  何をやっているのだろう、と自分で呆れながらも、もやもやとした気持ちが胸に残る。
  大人げないのは重々承知だったが、それを言うなら伊角だって伊角だ。
  いいかげん折れたらどうかと、和谷は自分のことは棚に上げて隣で口を閉ざしている伊角を恨
 めしく思った。
  ちらりと横目に盗み見ると、案の定彼は憮然とした表情をして視線を他所に向けていた。
  こちらを振り返る気配すら無い。
 「……ちょっとトイレ」
  黙って行くのはさすがにどうかと思い、呟くようにそう言った後に和谷は腰を上げた。
 「…ああ」
  背中に固い返事を受けて、胸がチクリと痛んだ。
  ベンチを離れてトイレへと向かいながら、ぼんやりと視線を上げる。
  こうして見上げてみると吹き抜けになっているホールを取り囲むように円形状に立ち並んだシ
 ョップが上まで続いており、なかなか壮観だった。
  一番上の階であるレストラン街を眺めて当初の目的を思い出す。
  何やってんだかな…。
  改めて事の不毛さに溜息がもれた。
  よりによってこんな日に、喧嘩なんかしなくたって。
  今日は、和谷の誕生日なのだ。
  原因なんて本当に些細なことだった。
  食事を奢ってくれるという伊角の誘いに喜んで乗り、まだ時間が早いのでついでに買物でもし
 ようと目的地を決めたまでは良かった。
  茹だるような暑さの中を並んで歩きながら、確か、先日仲の良い棋士を集めての勉強会兼どん
 ちゃん騒ぎを行ったときの話をしていたような気がする。ごく普通の、他愛のない話だ。
  そんな話の中、今日で18歳になったというのに未だに子供扱いをする伊角に和谷が文句を言っ
 たのが始まりで。
  いつもだったらすぐに「ごめんごめん」と伊角が笑って謝るところが、売り言葉に買い言葉。
  言葉の応酬をしているうちにいつのまにやら捻れに捻れて、
 「実際おまえ子供だし?」
  などと隣の彼が可愛い顔で可愛くないことを言ったのを最後に互いにそっぽを向いてしまった、
 というわけなのだが。
  どちらかが謝ってしまえばすぐに元通りになるというのに、どうも今日に限ってどちらも一歩
 も引かない。
 「ちぇ」
  少し乱暴に手を洗いながらふと鏡を見ると、冴えない表情の自分が映っている。
 「伊角さんのバーカ」
  小さく呟くと、和谷はトイレを後にした。







 「ん?」
  遠目にもベンチで異変が起きていることがすぐにわかった。
  異変と言っても、腰を下ろしている伊角が急病になっただとかそういったことではない。周囲
 のベンチで寛いでいる人達の様子も至って平和そのものだ。
  問題は、というと。
 「ねえ、貴方ひとり?」
  長い髪を優雅な仕草で耳にかけながら、艶やかな唇がそう言葉を紡いだ。
 「あ…いえ、その…」
  歩を早めて近くまで来た和谷の耳に、明らかに戸惑った伊角の声が滑り込む。
  向こうからは死角になっているのか、伊角も彼の目の前に立っている女も和谷の姿には気がつ
 いていないようだった。
 「待ち合わせ?」
 「…そうではないんですけど…待っていることは待っているというか…」
  何正直に答えてんだよ。
  確かに正確には待ち合わせているというわけではないが、こういう場合「そうだ」と答えるの
 が無難だろう。
  華やかなオーラに押されて完全に怯んでいる伊角を見つめる和谷の口が、自然と尖った。
  すぐに間に割り込んで行ってもよいのだが、喧嘩の余韻がそれを躊躇わせた。もう少しだけ様
 子を見ていたくて踏み出しそうになった踵を引っ込める。
 「彼女?」
 「いえ…、男、なんで」
  だからそう正直に。
  思わず額を手で押さえた和谷は、
 「もしかして伊角さん…わかってない?」
  現状を把握できていないのではないかという疑問が湧いてきて、項垂れてしまった。
  ただでさえ年寄りくさいところのある彼のことだ。ナンパなどというものは男の方からしかし
 ないものだと信じている可能性は大いにあった。
 「あら、お友達と一緒なの。残念」
  残念、と言いつつも、どうやらそのOL風の女は伊角が本当は独りなのだと判断しているように
 思えた。初心な青年の可愛い嘘、といったところか。
  その証拠に彼女は立ち去るどころかにっこりと微笑むと、麗流な動作で伊角の隣に腰を下ろし
 た。和谷の荷物が邪魔をして二人の間はやや広めに空いている。良くやった、と和谷は荷物を置
 いてきた自分を誉めてやった。
  何事かと不思議そうな表情を浮かべた伊角を見て、和谷は自分の推測が正しいことを確信する。
  やはりそうだ。信じ難いことに、女の意図など伊角はまるでわかっちゃいない。
  焦燥感のようなものを感じながら、和谷は女の方へ視線を遣った。
  小首を傾げてやや上目遣いで見上げる横顔がすっきりと整っている。スカートからスラリと伸
 びた脚も中々に美しい。
  男の弱いところをことごとく突いてきそうなタイプだ。
  くだらない、と思いつつももやもやと胸に滲んでくる不快な感情に和谷はうんざりとした。
  女と、自分と。
  比べたからといってどうなるというものでもないのだけれども。
 「ねぇ、」
  伊角の方へ身を乗り出すようにして、女が甘い声を出した。
  いよいよ本題だな、と和谷はぎゅっと拳を握りしめて鋭い視線を送った。
  飛び出して行きたいという気持ちと、伊角の反応を知りたいという気持ちがせめぎあう。
  はっきりと拒否するところが見たい、なんて。
  愚かなほど感情は根深く強欲で、そして切実だ。
  何よりも強固で、笑ってしまうほどに傷つきやすい。
  知らず早まる鼓動を感じながら、和谷は息を飲んで二人を見据えた。
  伊角を見つめて女が艶やかに笑む。
 「一緒にお茶でもどうかしら?」
 「……」
  いくらなんでもさすがに伊角も状況が分かっただろう。
  そう思って彼へと視線を移してみると。
  彼は。
 「……」
  山奥にキノコ狩りに行って熊に遭遇した人みたいな顔だった。
  やっと分かってくれたのはいいのだが。
  さすがに女に同情してしまった和谷である。
 「ね、行きましょ?」
  あまりな伊角の表情にしばし呆然としていた彼女が、気を取り直したのか少々引きつりながら
 もにこやかに誘いをかけた。
  そして。
 「ちょっと待った」
  口からついて出た思っていたよりもずっと低い声に、実は自分は相当腹を立てているのだとい
 うことに今更ながら和谷は気がついた。
  驚いたように同時に振り返った彼らの間に割り込むように腕を伸ばすと、女の手が掛けられて
 いた伊角の腕を掴んでぐいっと引っぱる。
  本当は伊角に触れていたその手を直接払ってやりたかったのだが、さすがに女性相手なので譲
 歩した。
  限界だ。
  ぽかんと呆気にとられてこちらを見つめる二組の視線を受けながら、自分の行動を反芻してみ
 る。
  先程まで自分が立っていた位置と、このベンチと。
  正直、女の手が伊角に触れたところまでしか記憶が無かった。
  これが無意識の行動となると、やはり相当頭にきているに違い無い。
  ああやっぱり重症なのだ。この自分は。
 「あら、本当に待ってる相手がいたのね」
  先に我に返った女が伊角へ悪戯っぽく笑んだ。
  その落ち着き払った艶やかな微笑みに、何となく自分が軽く見られたような気がして和谷はま
 すますムッとした。
 「兄弟?…じゃない、か。似てないものね。ねえ、よかったら電話ちょうだい。平日でも夜なら
 OKだから」
  弟。
  完全に子供扱いされたその言葉に、伊角との喧嘩の内容が重なって頭の芯が熱くなる。
  和谷は、彼女が伊角へとメモを手渡す前に伊角の腕を取り、半ばよろけるようにして立ち上がっ
 た彼を自分の方へと引き寄せた。
  伊角が口を開くのを遮るように半歩ほど前に出ると、和谷は女へと向き直る。
 「兄弟じゃなくて、恋人」
 「え?」
 「和…ッ!」
  目を白黒させて喚き出そうとした伊角を手で制しながら、和谷は唖然としている女に向かって
 薄く笑った。
 「そういうわけなんで。悪いけど他をあたってくれる? この人、俺のだから」
 「……」
  絶句したまま女の視線が和谷から伊角へとゆっくり移動する。それにつられるように和谷も隣
 を見遣ると、完全に固まってしまっている横顔があった。
  それが余計に和谷の言葉を肯定しているということに、当の本人はもちろん気がついているは
 ずもなかったが。
  和谷はそんな二人を無視してベンチの上から自分の荷物を取ると、促すように伊角の腕を引く。
  数秒間の沈黙の後、女が引きつった笑みを伊角へと投げた。
 「だめよー、子供に手を出しちゃ」
  あくまで冗談だと思おうとしているらしい。
  その気持ちはわからないではないが、当然その期待に応えてやるほど寛大ではないわけで。
  まして神経を逆撫でする言葉をまたもや頂いてしまったのだから、尚更だ。
 「余計なお世話。それに、」
  伊角の腕を引きながら数歩進んだところでベンチの方を振り返ると、
 「手ェ出してるの俺だから」
  和谷はニヤリと鮮やかに笑った。







 「何を考えてるんだおまえはっ!」
  やっと意識が繋がったらしい伊角が真っ赤な顔をして喚くのを、耳を塞ぐ真似をしてやり過ご
 す。
 「何って本当のこと言っただけだけど?」
  しれっと返すと、
 「本当のことって、あのなぁ!」
 「違うの?」
 「う…その、違わ…ないけどその…」
  とたんに赤い顔をしてごにょごにょと言葉を濁す様が可愛いくてついニヤニヤしていたら「少
 しは反省しろ!」と頭を叩かれた。
 「何だよ、元はというと伊角さんが悪いんだろ? さっさと適当なこと言って断りゃいいのにさ。
 それとも何? もしかして惜しいことしたなーとか思ってんの?」
  わざと不貞腐れた声を押し出しながら、上目遣いに睨む。
  全部が演技ではないことが少しだけ悔しかった。
  背をもたせかけている柵の向こうを肩越しに見遣ると、階下に先程のベンチが目に入る。
  さすがにあの女の姿はもうそこには無かった。
 「な、そんなわけないだろ!」
 「本当に?」
 「本当だってば。それより和谷、さっきのあれ。おまえな、いくらその…本当のこと、だってな、
 言っていいことと悪いことがあるだろ!」
 「誕生日だから無礼講」
 「どんな理屈だ、どんな!」
  怒りながらも和谷の発言自体は否定しない彼に、嬉しさが込み上げてくる。
  つい口元から笑みがこぼれてしまいそうになり慌てて隠しながらちらりと横を見ると、伊角も
 呆れながらも微かな笑いを噛み殺しているところだった。
 「なんだ、怒ってないじゃん」
  ぼそっと呟くと、伊角がこちらを向いた。
 「怒ってるよ」
 「どれを? ここに来るまでのこと? それともさっきのこと?」
  そういえば喧嘩をしていたのだったと思い出して加えて訊ねてみる。
 「どっちも」
 「ふーん」
  相変わらず嘘が下手だ。
  喧嘩をしていたことなど、今思い出したくせに。
  和谷の口元から笑みが今度こそこぼれ落ちる。
 「怒ってるとか言ってさ、別に俺置いて帰ろうとかしなかったじゃん」
 「そんなのおまえだってそうだろ」
 「あ」
  そういえばそうだ、と自分で言っておきながら赤面してしまった。
  口もきかずに互いにそっぽを向きながらも、帰ってしまおうとは思わなかったなんて。

  何だか。

 「……」
 「……」
  隣を盗み見ようとしたらしっかりと目が合ってしまった。
  和谷に負けず伊角の頬まで染まっていて、同じ感想を抱いているに違いないと確信する。
  ああなんて恥ずかしいのだろう。二人揃って。
 「…だいたい18にもなって大人げないんだよ、和谷は」
 「へっ。そういう自分は成人してるくせに」
  視線を泳がしながら悪態をつき合っていては一向に頬の熱も引かない。
  むしろ体温は上昇するばかりで。
 「それよりハラへった! 夕飯おごってくれるんでしょ?」
  誤魔化すように勢いをつけて柵から躯を起こすと、「ハッピーバースデー俺ー!」と調子外れ
 な歌を口ずさむ。
  後ろで呆れと暖かさが混じりあった溜息が聞こえてきて、それだけで胸がいっぱいになった。
  鏡がないからわからないけれど、自分は今、世界中の幸せを集めてきたような顔をしているに
 違い無い。
  わからないけれど、多分。
 「まだ5時前だぞ?」
 「若者はカロリ−消費が激しいんだぜ?」
  くるりと向き直ると、そこには甘やかな笑顔。
  思わずエヘヘ、と笑い返すと、綺麗な笑顔がますます甘くなった。
  並んで歩き出しながら彼の耳元へと顔を寄せる。
 「夜は無礼講第二ラウンドでよろしく」
  再び熱が戻ってしまったその顔に、鮮やかにウインク。
 「…子供のころのお前が懐かしいよ」
  額に手をあてガックリと項垂れた伊角に、和谷は晴れわたった笑顔で応えた。










  fin.





痛々しいほど遅れてごめんなさ…い…(殴)。てゆかサマー…?えへv しかもこれを誕生日SSだと言い張る無謀さ。ワォ。そしてまたもや無駄に(本当にな)フリーSSとなっておりますのでお持ち帰りしてやろうという奇跡のような方がいらっしゃいましたらご自由にどうぞv
誕生日にね、喧嘩をさせたかったのですよ、意味のない喧嘩を(そうですか)。ちょっと強気な和谷でした。お誕生日おめでとう義高!!vv

(2003.09.13)