繋がるココロ





  対局を終えた和谷は対戦表を記入しに立ち上がった。
  今日は調子が良くて、相手もあっさり投了してきた為かなり早く勝負がついた。
  まだ部屋の中の大半の院生たちが対局中なので、なるべく静かに前方の机に向かう。
 「あれ?」
  自分と対局相手の結果を記入し終えた和谷は、置こうとした対戦表をまた手に取った。
 「伊角さん、もう終わってるじゃん」
  対戦相手が早打ちの得意なフクとはいえ、中押し勝ちではないところから考えると伊角の一手
 一手も相当早かったに違い無い。
  部屋の中をぐるりと見渡したが、伊角の姿はなかった。
  別の対局を見学しているフクを見つけて声をかける。
 「フク、伊角さんは?」
 「あ、和谷くん。それが伊角さん具合悪くて上の控え室で休んでるよ」
 「えっ」
  慌てて出入り口へ向かう和谷をフクが追いかけてきた。
 「今日は伊角さんずいぶん早く打つなぁって思ってたら、対局中も具合悪かったらしくて、早く
 終わらせようって急いで打ってたんだって。それでも勝っちゃうんだからサスガだよねぇ」
  フクに先導してもらいながら階段を急ぎ足で上がっていく。
 「具合ってどんな感じ?」
 「本人は軽い貧血だから大したことないって言ってたけど、顔、真っ青だったよ…あ、そこの部
 屋。センセイに言ってカギ開けてもらったんだ」
 「ん。フク、あとはオレが様子見ておくから。みんなには先に帰ってもらって」
 「うん、わかった」
  フクと別れた和谷は部屋の前まで走って行き、静かにドアを開ける。
  部屋の奥に置かれたソファーに伊角が横になっているのが見えた。
  中に入り、そっとドアを閉める。
  ソファーに近寄り、床に膝をついて覗き込んだ。
  静かな寝息をたてている伊角のやや血の気が失せた顔を見つめた。
  顔色はあまり良くないが、静かに眠っている様子に安堵する。
  そっと額に手をあててみたが、どうやら熱は無いようだった。
  やはり貧血、だろうか。
 「…伊角さん、疲れてるのかな」
  そういえば今日一緒に昼食を食べたときもあまり食欲がないと言っていた。
  こんなに具合が悪かったなんて。
  和谷は、「大丈夫」という言葉をうのみにして体調の変化に気づいてやれなかった自分に腹が
 たった。一番、誰よりも伊角のことをわかっていたいのに。
 「ごめん、伊角さん」
  誰もいない部屋の中で、伊角の静かな寝息だけが流れていた。
  左の目にかかりそうな前髪をどけてやろうと伸ばした和谷の手が止まる。
  白い目蓋と、影を落としている長い睫毛。
  ほんの少しだけ苦しそうに眉を寄せている、静かな寝顔…
  とくん。
 「あ、やべ…」
  高鳴り出した心臓を慌てて押さえる。
  最愛の人が苦しんでいるというのに、何で頬なんか染めちゃっているんだ自分は。
  和谷は不謹慎な自分の心を戒めるように頭を振ると、感情を込めないように意識しながら伊角
 の前髪をそっとどけた。
  とくん。
 「あー…もう…」
  だめだ。
  自分の頬に手をあててみるとすっかり熱を帯びている。
  ふと視線が伊角の襟元に止まった。
  苦しかったのかシャツのボタンが2つほど外されていて、白い肌がのぞいていた。
 「…っ」
  体温が上がる。
  和谷は素早くかけてあった毛布を伊角の襟元まで引っぱり上げてその白い肌を隠した。
 「…サイテーだな、オレ」
  ソファーに背を向けて、頭をかかえる。
  火照った頬をあおぎながら、暴走している心臓をなだめようと意味もなく部屋の中を眺めた。
 「…わ……や……」
  突然名を呼ばれて、和谷は飛び上がった。
  紅い頬をどうごまかそうかとあたふたしながら慌てて振り返る。
 「……寝言か」
  まだ眠りから覚めていない伊角にほっと胸をなで下ろす。
  今の自分の姿を見られたら下心バレバレだ。
  和谷は暑くもないのに額に滲んだ汗をぬぐった。
 「…あれ?」
  もしかして。
  今、確かに自分の名を呼んだ。ということは。
 「伊角さん、もしかしてオレの夢見てる…?」
  急に弛んできた頬をそのままに、覗き込む。
  心持ち先程より顔色が良くなったと思うのは思い上がりだろうか。
  和谷の顔はすっかりにやけていた。
 「どんな夢なのかな……ちょっとは恋人らしい夢見てくれてんのかな」
  睫毛が影を落とす、白い顔を眺める。
  ほんの数回だけ、触れたことのある唇。
 「…キスくらいしたっていいよな。オレたちつきあってるんだし」
  和谷は伊角を起こさないよう気をつけながら、そっとソファーの背に手をかけた。
  自分の心臓の音が、まるで耳元で鳴っているかのように大きく響いている。
 「好きだよ、伊角さん」
  ゆっくりと顔を近付ける。
  唇が触れそうな、その時。
 「…ん……」
  和谷はガバッと身を起こした。
  心臓が早鐘を打ったように脈打つ。
  また寝言だとわかったとたんがっくりと項垂れた。
  だが、
 「…わ、や……」
  再び自分の名がでてきたので急いでその口元に耳を寄せた。
  いったいどんな夢を見ているのか。
  その想いに答えるように、伊角の唇が微かに動いた。
 「……メシは…よく噛んで食え……」
 「……」
  床にドスンと座ると、和谷はバッグからペットボトルを取り出して一気に飲み干した。
 「……がんばれ、オレ」
  空になったペットボトルを側のテーブルに置く。
  小さくため息をもらすと、またソファーへ向き直った。
  打たれ強くなれそうだ。
  少しめくれた毛布を直そうと手を伸ばす。
 「え…」
  ふいにその手を掴まれ、目をみはる。
  毛布から伸びた白い手が、和谷の手に重ねられていた。
  そっと握ると、きゅっと握り返してくる。
  伊角はちょっと微笑んだようだった。
 「伊角さん…」
  胸がドキドキした。
  ソファーにぴったりと近づき、伊角の手を優しく握り直す。
  それだけで胸の奥からあたたかな想いが広がっていくのを感じた。
  寝顔を眺める。
  この人が、好きだ。
  目眩にも似た、幸福感。
  和谷は手を握ったまま体を乗り出して、眠っている伊角の唇にそっとキスをした。





 「具合、どう?」
  うっすらと目を開けた伊角は、すぐ側にいる和谷を驚いたように見つめた。
 「あ、和谷…付き添っててくれたんだ。ありがと」
  ゆっくりと体を起こそうとして、和谷に手を握られていることに気がつく。
  伊角が口を開くのよりも早く、和谷がニヤッと笑って言った。
 「先に握ってきたの、伊角さんだぜ」
 「え…」
  伊角の頬が一瞬のうちに染まる。
  それを満足そうに眺めた和谷は名残惜しそうにゆっくり手を離すと、起き上がるのを手伝った。
 「それで、具合は?」
 「ああ、うん。もう大丈夫。ちょっと疲れてただけだと思う」
 「心配したんだぜ」
 「うん。ごめん。…ありがとう」
  ふわりと笑われ、今度は和谷の頬が染まった。
 「オレこそ気づかなくて……伊角さん、早くボタンとめてくれない?」
 「え?」
  紅い顔で襟元を指差すと、「ああ」ときょとんとしたまま伊角がボタンをとめていく。
  わかってないなーと思いつつも、手に残った温もりが和谷を甘い気持ちで包んでいた。
 「ごめん、遅くなっちゃったね。帰ろう」
 「もう大丈夫?」
 「うん、よく眠れたから」
  毛布を片付け、バッグを手に持つ。
 「伊角さん、何か夢見た?」
  ちらりと見上げると、うーんと思い出そうとしている真剣な顔が見えた。
 「何か見たような気がするけど…憶えてないなぁ」
 「ふーん。ま、いいや」
 「…何でニヤニヤしてんの?」
 「秘密」
  机の上からカギを取った和谷が先にドアへ向かう。
 「和谷」
  呼び止められて振り返ると、伊角が何か言いたげな顔をして立っていた。
 「何?」
  側まで戻る。
  何度かためらうようなそぶりを見せた後、伊角が口を開いた。
 「あの、さ。今日、裏通りから帰らないか?」
 「裏通り? 別にいいけど、何で?」
  不思議そうに問いかける和谷から伊角が視線をそらした。
 「……………から」
 「え?」
  小声でぼそりとつぶやかれ、反射的に聞き返す。
  だが。
  和谷の顔が一瞬にして輝いた。
 「…なんでもないっ」
  頬を真っ赤に染めた伊角が和谷の脇をすりぬけて廊下へ出る。
  すっかり頬を弛めた和谷がすぐにその後に続く。
 「ヘヘヘ。聞こえちゃったもんねっ」
 「…やっぱり今のナシ!」
 「やだね。伊角さん、今さらもう遅いよーだ」
  耳まで紅くなった伊角の手に、和谷が自分の手を絡める。
 「こら、和谷! ここはまだ棋院だろ!」
 「いいじゃん、もうみんな帰っちゃったよ」
 「和谷っっ!」
  絡めた手から伝わる体温。
  自分はきっと今、世界で一番幸せな顔をしている。
  和谷はぎゅっと手を握り、隣を歩く愛しい人に笑いかけた。









  『裏通り? 別にいいけど何で?』






  『…手、繋いで帰れるから』










  fin.



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寝言言いすぎ(汗)。伊角さんのバースデー記念です(どこが!?)。しかも院生時代だし。砂吐きバカップル好きなんです。何はともあれ、伊角さん、お誕生日おめでとうvv

(2002.4.18)