クローバー  #4





 「……何でおまえがここにいるんだ」
  薄暗い木立を抜けて目的の場所に辿り着いた明人は、そこに見知った背中を見つけて立ちすく
 んだ。
  木々の並びが途絶え、ちょっとした野原になっているそこにしゃがみこんでいた人物が、こち
 らを振り返り一瞬驚いた顔をした後ゆっくりと立ち上がった。
 「願いも通じるときがあるもんだな」
  そう言って貴志は微かに笑った。
  月あかりに照らしだされた静かな微笑みに、明人はひどく胸苦しさを感じて視線をそらした。
 「何してるんだ、こんなところで」
 「探しもの」
 「…こんな夜中にか?」
 「そういう明人こそ」
  からかうような視線を投げ、貴志は長い指で髪をかきあげた。
 「こんな夜中にこの場所に来るってことは明人も俺のコトを考えていてくれてたのかなーなんて
 ね。期待しちゃうんですけど」
 「どういう意味だ? …僕はちょっと気晴らしに散歩に来ただけだ」
 「わざわざこんなとこまで?」
 「……」
 「ま、いいや。俺の勝手な願望ということで。…それにほら、見てみろよ」
  貴志に促されて夜空を見上げた。
  降ってきそうなほどの無数の光の粒の瞬き。心の奥まで染み通るような月の放つ静謐な光。
 「確かにわざわざ見に来るだけの価値はあるよな」
 「……」
  まるで時が止まったような感覚に包まれ、何もかも忘れて夜空に見入る。
  そんな明人の上向いた横顔を見つめながら、貴志が柔らかく微笑んだことに明人は気付かなか
 った。
 「キレイだな…」
 「ああ…」
  貴志がクスリと笑った。
 「違うよ、明人」
  貴志の手のひらが頬に添えられ、明人の身体が一瞬すくむ。夜空から貴志へと視線を移した明
 人は、優しく細められた瞳にぶつかった。
 「…キレイだ」
 「……」
  胸がドキリと大きな音をたて、頬が熱を帯びていくのがわかった。
  だが次の瞬間、今度は胸に鋭い痛みを感じ、急速に身体中が冷えていくのを感じた。
  ──そうだ。その言葉の相手は自分でいて自分ではない…。
  そっと貴志の腕をはずし、急いでいつもの冷静な顔に戻す。
  傷ついていないふりは慣れているはずだった。
  明人は何でもないことのように肩をすくめてみせた。
 「そういう言葉は女の子にとっておいたらどうなんだ。男に言っても仕様がな…」
  言葉が途中で途切れた。
  明人は貴志の腕の中で大きく目を見開いたまま、息をつめる。
  背中に回された腕と、頬にあたる貴志のパーカーの感触。
 「好きなんだ、明人」
  密着した身体から直接響いてくる低音に、明人の身体がビクリと震えた。
 「だ…から、そういう冗談は…」
  全身の力が抜けていきそうになるのを何とか押さえて、貴志から離れようと広い胸を両手で押
 し返す。だが離れるどころか一層強く抱きしめられ、心臓が止まりそうになった。
 「冗談なんかじゃない。本気だ」
 「……」
  いつもの貴志とは違う、真剣な声色に明人の動きが止まる。胸を押していた両手が力なくパタ
 リと下へ落ちた。
  貴志は抱きしめていた腕を少しゆるめると、明人の頬にそっと手を添え上向かせた。
  貴志の、見たこともないような真剣な眼差しを、明人は息をするのも忘れてただ見つめ返す。
 周囲から音が消え、自分の鼓動の脈打つ音だけが明人を包んでいた。
  明人の目を見つめたまま、貴志が身体中に染み渡るような深い声でゆっくりとささやいた。
 「本気なんだ。…おまえが好きなんだ。明人」
 「……」
  沈黙が闇に静かに溶けていった。
  明人は何も言えずにただひたすら貴志の瞳を見ていた。何か大きな波のようなものが身体の中
 を駆け回り、感情が言葉という形になって浮かび上がるその前に押し流してかき消していってし
 まった。
  無言のまま見つめ続けた。
  ただひたすら熱くて、苦しかった。
  ふいに貴志の目が驚いたように見開かれた。
 「…明人…?」
  心配そうな、それでいてひどく優しい瞳で見つめながら、貴志が手を頬に添えたまま親指だけ
 を動かして明人の目尻をそっと撫でた。
 「!」
  その動きで初めて、明人は自分が泣いていることに気がついた。
  貴志の手が音もなく動いて明人の眼鏡を取り去り、そのまま自分のズボンの後ろのポケットに
 押し込む。ひどく無防備になった気がしてうろたえた明人が手をのばそうとするのよりも早く、
 貴志は明人を強く抱きしめた。
 「明人。おまえが好きなんだ」
  静かに、はっきりと貴志が告げる。
  息ができないほど強い抱擁と、伝わってくる体温。そして、鼓動。
  貴志の胸に顔をうずめている明人の瞳から、新たに涙がこぼれた。
  今この瞬間、はっきりと認めた。
  ずっとごまかしてきた自分の気持ちも。あの夜の涙の理由も。

  これは、恋だ。

  同じ男である自分がそんな感情など抱くわけはないと無理に退けていた。無理やり友情の域に
 押し込もうとしていた。心ではわかっていながら頭で否定していた。
  認めてしまえばこんなにも簡単なことだったのだ。
  もう、代わりでも何でもいいと明人は思った。今ここに貴志はいて、明人のことが好きだと言
 う。そして何より大事なのは、明人が貴志を好きだということだ。
  その想いがあるならば、それが全てだ。
  明人の髪を撫でる貴志の手があまりにも優しくて、愛しくて、明人は貴志にしがみついて泣き
 続けた。




 「…眼鏡」
  そっぽを向いたまま明人が無造作に手を差し出すと、ぴったりとくっつくように隣りに腰掛け
 ていた貴志がクスリと笑った。
 「いいじゃん、もうちょっとそのままで。眼鏡もいいけど、明人の素顔スゲー色っぽいんだから
 さ」
  明人は無言のまま横目で睨むと、貴志が右手でふらふらと弄んでいた眼鏡を引ったくってかけ
 た。そしてまたすぐにそっぽを向く。
  貴志はそんな目元の赤く腫れた明人の横顔を、にやにやと嬉しそうに眺めた。
 「かわいいなー、明人。…あ、また睨む」
 「…いいからもっとそっちに寄れよ」
 「やだね」
  ベンチの反対側に押しやろうと伸ばした明人の手を貴志がつかんだ。
 「なあ、明人。おまえの手紙、何て書いてあったんだ? 幼稚園のときの」
 「別に。元気かとかそういうことだけ」
 「俺のことは?」
 「何にも」
 「『約束』のことは?」
 「…何にも」
  あはは、と貴志が声をあげて笑った。
 「そうか、やっぱり書いてあったか。いやー愛されてたんだなー俺」
 「だから何も書いてなかったと言ってるだろう」
  睨みながら抗議しつつも、明人の目元はほんのり赤くなった。
 「明人」
  ひとしきり笑った後、急に真面目な声で呼ばれ、明人は顔を上げた。貴志の掘りの深い整った
 顔に月明かりが淡い影を落としていて、明人はドキリとした。
 「あのころの俺たちはまだほんとに何もわかっていないガキだったけどさ、でもガキなりに本気
 だった。『約束』だってほんのママゴトみたいなもんだったけど…やっぱり本気だったよ。十年
 経った今でもやっぱり俺は明人が好きだ。あのころよりもずっとずっと深くな」
 「…約束なんてまた何度でもすればいい」
  貴志がはっとしたように明人を見つめると、「そうだな」と幸せそうに微笑んだ。
 「これからだもんな、俺たち。…でも俺はあのときの『約束』もまもるつもりなんだけど」
 「無茶言うな」
 「お、やっぱり憶えてたんじゃないか」
  明人の頬が再び赤く染まった。

   ──ねえママ、ぼくとたっくんはケッコンできないってほんとなの?
   ──ええ。ふたりとも男の子だから。
   ──えー、ぼくあっちゃんとケッコンしたい! あっちゃんもぼくとケッコンしたいよね?
   ──うん。ママ、どうしてもできないの?
   ──そうね。ふたりが大人になっても気持ちが変わらなければできるかもしれないわ
   ──ほんとに? じゃあ、だいじょーぶ。ぼくはぜったいあっちゃんとケッコンする!
   ──ぼくも!
   ──ふふ。あのね、ほんとにかなえたいお願いごとはね、秘密にしておかなきゃいけないの
     よ。
   ──じゃあ、ひみつにする! あっちゃん、おとなになったらぼくとケッコンして!
   ──うん!
   ──やくそくだよ!
   ──ゆびきりしよう!

 「だいたいあれは母さんが悪い」
  文句を言おうにもすでに還らぬ人になってしまったが…。
  貴志の手が伸びてきて、明人の髪を撫でた。
 「まさか本当になるなんて思ってなかったからだろ」
 「…本当になんかなってないじゃないか」
 「これからなるからいいの」
 「勝手に決めるな」
  貴志はあはは、と笑うと今度はひどく残念そうに言った。
 「あーあ、今渡したかったなー」
 「…?」
  訝しげに向けられた明人の視線を受け、貴志がニッと笑った。
 「婚約クローバー」
 「…え?」
 「指輪もいいけど、一番ぴったりだろ?」
  一瞬理解できずに問い返したが、次の瞬間には明人の鼓動は早くなっていた。頬が染まる。
  貴志も憶えていたのだ。あの日のクローバーを。
 「探したんだけどさ。今日、ほら三丁目の空き地。朝から探したんだけど。さすがにそうそう見
 つからないもんだな、四つ葉は」
 「三丁目って…そんなとこまで行ったのか?」
  地名はきかなくてもすぐにわかった。幼い日の二人がよく一緒に過ごした場所だ。
  三丁目の空き地の四つ葉のクローバー。
  明人はそれをすでに一つ持っていた。写真立ての中の、石畳の下に。
  贈り主は貴志だ。十年前の、幼い貴志。『約束』の証しとして、偶然見つけた幸福の象徴を躊
 躇することなく明人に差し出してくれた。
 「ほんとはクローバー見つかるまで手紙のこともふれないでおこうと思ってたんだけど、つい、
 な。今日色々と思い出深いところに行ったりしたもんだから我慢できなくなって」
  軽い口調で話しているが、何となくいつもと違う。いつも視線をそらすのは明人の方なのに、
 今は貴志がそらしている。
  夜の闇が邪魔してはっきりとは見てとれないが、貴志の頬がほんのり赤くなっているようだっ
 た。
  つられて赤くなりそうで、明人は冷静な顔を保つのに苦労した。
 「クローバー渡したかったんだけどなぁ。ちょっと間にあわなかった。まさかここに明人が現れ
 るとはな」
  明人は今二人がいるこの原っぱを見渡した。明人のお気に入りの秘密の場所だ。一面に広がる
 緑の小さな植物。
  ときどき夜中に一人でここに来ることがあった。なぜここが落ち着くのか、今なら答えること
 ができる。明人を引き寄せていたのはこの一面のクローバーだ。心の隅ではわかっていたのに認
 めるのを拒んでいたことの一つである。
  そして今晩、幼い日の自分に後押しされてこの場所に明人は来た。秘密の場所だと思っていた
 この場所を、貴志も知っていた。
 「この場所は俺しか知らないと思ってたんだけどな」
 「僕だってそう思ってたよ。秘密の場所だったのに」
 「それじゃ今からは二人だけの秘密の場所ってことで」
 「僕はまたどこか別の秘密の場所を探すからいい」
 「おっ、またそんな可愛げの無いことを。そんなこと言ってるとキスするぞ」
  ちょっとふてくされたような貴志の顔を見て笑みがもれる。
  自分はなぜここに来たのか。そして貴志もなぜここにいるのか   
  まだほんのり赤い鼻の奥がまた少し痛くなってきた。
  自分は今ここにいて、貴志もまたここにいる。それでいいのだ。
  貴志にとっては一時の思い違いでも──たとえ誰かの代わりでも。
  今日ここに着いたとき、月明かりに照らされながら貴志は一人、四つ葉のクローバーを探して
 いた。見つかるかどうかもわからないのに、この広い緑の絨毯の中で探していたのだ。明人へ贈
 るための『幸福』を。
  今はそれで十分だ。
 「あーあ、それにしてもくやしいな。夏休みまでには絶対見つけるから、待っててく…」
  貴志の言葉がとぎれる。頬に添えられた明人の手を驚いたように見やった。
 「貴志、もう探す必要はない」
  貴志の頬を包むようにそっと手を押しあてる。
  問いを含んだ貴志の瞳をまっすぐに見つめながら、明人はゆっくりと言った。
 「もう探す必要はない……見つかったから」
  貴志の目が軽く見開かれた。
 「……」
 「もう見つかったから」
  胸の奥に。
  小さな緑色の『幸福』のクローバー。
 「明人…」
  貴志の頬に添えられていた明人の手を、一回り大きな手が上から包み込んだ。
 「明人…愛してる」
  明人はふわりと微笑んだ。
  抱き寄せられ、長い睫をそっとふせる。


  二度目のキスは甘く切なく、そして幸福の味がした。



  fin.



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はい、やっと終了です〜
もったいぶったわりにはたいした「秘密」じゃなかったですね(笑)。本編がノーテンキな話なので、その分サイドストーリーはシリアスに…と思ったのですが…。
この二人の話はまたそのうち書こうと思ってます〜v

(2002.03.09)